高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第一章 明治初期の政治と社会

第四節 天皇巡幸と三新法

二 三新法体制と村々

 従来の大小区制の下での区会に代わって復活した町村の議決機関として町村会が開設された。町村会が法的に決定したのは明治一三年(一八八〇)の区町村会法による。栃木県では明治一三年一月に「町村会規則」が布達された。第一条には次のように町村会の権限が記されている。(『栃木県史』史料編近現代一・二九八頁)
 
 第一条 町村会ハ毎町村ニ一箇ノ会場ヲ設ケ左ニ掲ル各款ヲ議定ス
  第一款 其町村限リノ経費ヲ以テ支弁スベキ事業ヲ起廃シ、或ハ之ヲ伸縮スル事
  第二款 其町村限リノ経費ヲ予算シ、及ビ其賦課法ヲ設ル事
  第三款 其町村共有財産ノ額ヲ増減シ、又ハ之ヲ貸付シ、又ハ之ヲ増殖シ、及ビ之ヲ維持スルノ方法ヲ設ル事
  第四款 其町村共同ノ名義ヲ以テ、土地、家屋、金穀等ヲ借入ル事
  第五款 県庁ヨリ其町村に割付タル税額ヲ徴収スル為メ、各戸出金ノ乗率ヲ定ムル事
 
 村会規則は、県の町村会規則に則して作られており、町域内各村の村会規則もだいたいが総則九か条、選挙一四か条、議則六か条、開閉三か条を基準としてつくられている。太田村会議規則でみると、総則の第一条には村会は「本村内ノ公共ニ関スル事件及経費ノ支出徴収方法ヲ議定ス」として公共に関する件、予算に関する件とを審議するとしている。議会審議はすべて戸長より発するもので議決は戸長認可の上で行うとなっている。認可されたものは戸長によって郡長に報告するとなっている。村会議員の数は人口によって定めるとあり、二五〇人以下は八名、五〇〇人までは一〇人、一、二〇〇人までは一五人と定められており、太田村は住民三一九名で議員数は一〇人が選ばれている。
 選挙権は満二〇歳以上の男子で本村内に居住し、不動産を有する者で、選挙は投票日を一五日前に決定し、投票は選挙人の面前で戸長が開票する。当選人は当否の査定をうけ、戸長が役場に呼び出し、当選状を渡し、当選人の承諾書を得て村内に公示することになる。会議は議員の半数以上の出席で開かれ、出席数の過半数で決するとなっている。
 最初の太田村村会議員に選ばれた田代吉平、宇塚五平、見目林平、小松清四郎、薄井源四郎、加藤庄平、加藤由太郎、加藤善吉、田代清二郎、加藤太平の一〇名は積極的に村の発展に尽くすことを約束して次のような請書を提出している。
 
  私儀、今般村会議員ニ選バレ、当選状御渡シ相成了承仕候、然ル上ハ任期中規則ヲ遵守シ村民ノ為メ本職ヲ尽スベク候、仍テ当選御請書如件
         明治一三年九月一日 塩谷郡太田村
                       平民
                     田代吉平
                       外九名(略)
    戸長 見目 清作 殿
 
 各村は村会議員の力で村つくりに第一歩をふみだしていった。

図30 村会議員当選の請書(太田 見目清三家蔵)