高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第一章 明治初期の政治と社会

第一節 維新期の高根沢

二 県の成立と村々

 維新政府は、明治四年(一八七一)七月一四日廃藩置県を断行した。在京の五六藩の知事は天皇から免職の勅語を受け、間もなく全国三府三〇二県が成立した。廃藩置県により高根沢町域は日光県と宇都宮県、佐倉県の支配になった。次いで同年一一月一四日には三〇二県が一挙に七二県に統合され、下野国は栃木県と宇都宮県の二県に整理統合された。宇都宮県は芳賀郡、河内郡、塩谷郡、那須郡の四郡である。栃木県の初代県令には旧日光県知事鍋島道太郎(貞幹、幹)が就任した。宇都宮県は県令をおかず、三吉周亮が参事に任ぜられたが赴任せずに辞任し、参事小幡高政が政務をとった。この時点で町域の日光県と宇都宮県、佐倉県は新たな宇都宮県に統合された。
 宇都宮県は、旧宇都宮城の城郭内に仮庁舎を設けたが庁舎は一棟で手狭になり、そのうえ陸軍省は東京鎮台兵屯所を城内に設置するため、県庁の立退きを要求した。やむなく翌五年六月一八日、県は庁舎を西原村の安養寺に移転したが、ここも手狭なため、宇都宮城の外郭内に新築して、落成届を明治六年一月三一日付で大蔵省に出している。
 廃藩置県後の県の統治は大区、小区という新しい体制で行われた。日光県は早い段階の明治四年六月に五部七五区の区画を制定した。高根沢町域は那須、塩谷地区で第五部となり、掛官員は渡辺権大属、野中権少属、本多淮史生で太田村外九か村が第五部六二区、飯室村外一三か村が六三区に入っていた。太田村外九か村をみると六一区(『県史』には六二区とある。矢板市成田・川上豊氏所蔵の御用留による)で表2のように太田、上高根沢、平田、前高谷、西高谷、寺渡戸、桑窪、栗ケ島、中柏崎、下柏崎の一〇か村よりなっており、大惣代には太田村の見目清作があたっていた。新しい支配体制は明治四年の廃藩置県以降徐々に、また確実に歩みはじめた。
 
表2 第61区村々役人名前(明治4年11月)
名主組頭百姓代
 太田村
 見目清作
 加藤多平
 加藤善吉
 田代吉平
 薄井源四郎
 上高根沢村
 宇津薫造
 佐間田孝作
 小堀善作
 高瀬九内
 赤羽吉郎平
 岩本與四郎
 野中伊三郎
 床井七平
 平田村
 加藤勝一郎
 古郡寛一
 鈴木瀬一郎
 手塚七郎平
 加藤東十郎
 鈴木亀一郎
 加藤富三郎
 加藤源重郎
 前高谷村
 鈴木源重郎
 鈴木仁平
 小林啓斉
 荒井政十郎
 荒井清三郎
 菅俣久吾
 西高谷村 鈴木重郎平 鈴木金作 山本惣七
 寺渡戸村
 見目清作
 岩原孫平
 岩原孫作
 山本為三郎
 桑窪村
 矢口九内
 鈴木新一郎
 鈴木平重
 鈴木藤吉
 斉藤源吉
 栗ケ島村
 横須賀粂三郎
 黒崎惣平
 古郡弥平
 横須賀柳七
 横須賀佐吉
 木村孫八
 坂本市三郎
 中柏崎村 矢口藤七 小林源三 小林藤三郎
 下柏崎村 鈴木源一郎 大森又三郎 大森孫四郎

史料編Ⅲ・17頁