高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅰ

第四編 近世

第五章 商品生産の発展

第二節 特産物生産

五 朝鮮種人参

 高根沢町域における御用参作人として史料に出てくるのは、宝暦十四年(一七六四)六月の「朝鮮種人参花壇拾ケ所並惣囲等御入用積帳」(史料編Ⅱ・四九二頁)に記述されている次の三名である。
 
野州塩谷郡平田村   太郎右衛門
同     上高根沢村 権右衛門
同    桑窪村   平左衛門
 
 それから二十五年後の寛政元年(一七八九)五月の「人参一件御裁許書之写」(史料編Ⅱ・四八九頁)には、参作人として次の十名の名と、栽培開始年及び朝鮮種人参種子の粒数が記載されている。
 
  平田村    太郎右衛門  宝暦十四年  三百粒
  太田村    太兵衛    天明元年   百粒
  下高根沢村  庄左衛門   天明五年   三十粒
  平田村    久右衛門   同右     二十粒
  栗ケ嶋村   九兵衛    同右     二十粒
  平田村    清左衛門   同右     千三百粒
  桑窪村    惣兵衛     同右     五十粒
  前高谷村   善右衛門外   同右     七百粒
  上高根沢村  五郎左衛門   同右     五十粒
  平田村    武左衛門    同右     二十粒
 
 彼ら「御用参作人」が居た村の位置は、8図の通りである。芳賀町域にあたる下高根沢村を除けば、村数六か村である。
 御用参作人として認可されると、参実が配られ、栽培用花壇の設置が義務づけられる。また、収穫した参根や採取した参実を自由勝手に販売したり、譲渡したりすることも禁じられた。参作人にも格式があり、寛政期以前に栽培を許可された者を「古作人」、それ以降に許可された者を「新作人」と呼んだ。この中から選ばれた代表者が「参作世話人」であり、村役でいえぼ名主格に相当する権限を持っていたのである。その者は朝鮮種人参の播き付けから収穫に至るまでの指導的役目を果たすことになっていた。加えて、参実の粒数及び参根の量目や保存量などを役所へ報告する役目も担っていた。当町域でこの役に当たったのが、平田村の太郎右衛門である。
 この頃、朝鮮種人参の栽培についての許認可権や参作に関する一切の権限は、一橋領代官の奥田三右衛門が握っており、播種の仕方や発芽の様子、あるいは手入れの仕方、収穫量に至るまでを把握するため、検分をしていたのである。

8図 寛政元年朝鮮種人参栽培の村

     花岡 小林栄治家文書(史料編Ⅱ・489頁から)