高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅰ

第四編 近世

第二章 近世高根沢村々の成立

第四節 農業の発展

二 商品経済の進展

30表 太田村見目家の金肥仕入資金借用高一覧
年代借入金額摘要
嘉永3年(1850)6月50 両干鰯買入のため
嘉永3年(1850)11月50 両干鰯約 400俵
嘉永4年(1851)6月100両〆粕約 400俵
嘉永4年(1851)6月30 両〆粕約 260俵
嘉永5年(1852)11月60 両〆粕約 260俵
嘉永5年(1852)11月30 両〆粕約 160俵
嘉永6年(1853)11月30 両〆粕約 160俵
嘉永6年(1853)12月20 両〆粕約 100俵
嘉永7年(1854)5月50 両干鰯約 200俵
安政2年(1855)3月50 両干鰯約 200俵
安政2年(1855)10月100両〆粕約 200俵
安政2年(1855)11月50 両〆粕約 300俵
安政3年(1856)11月100両〆粕約 200俵
安政4年(1857)8月100両〆粕約 200俵
安政5年(1858)12月50 両〆粕約 100俵
安政6年(1859)12月50 両〆粕約 100俵
万延1年(1860)12月100両〆粕約 200俵

出典:太田 見目清三家、「借用金証文之事」(各年)
 
 農業生産力を高めるために、小規模農業経営者たちは、新田畑の開発をしたり、深耕による耕作法を採ったり、品種改良に基づく種子の選択をしたりしてきた。さらに、堆肥や厩肥による施肥に、新たに当町域に流通してきた〆粕や干鰯を使用することで、農作物の増産をはかるようになった。緑肥を作る原料を採取する野場の使用面で、地主らに比較して有利でなかった小農は、土地の生産力を増強させる金肥へ大きな期待を抱いていた。
 高根沢町域における金肥の普及は、寛保年間(一七四一~四三)頃と考えられるが、その使用開始はさらにさかのぼれよう。寛延二年(一七四九)の「上高根沢村差出明細帳」(史料編Ⅱ・一四頁)に見えるように、すでに田畑一反歩につき干鰯・米糠を七斗から一石二斗も施肥している。
 寛政九年(一七九七)から文化五年(一八〇八)の約十年間に、亀梨村の鈴木家が取り扱った金肥の俵数をまとめたものが、29表である。この数値は売掛けによる前貸しの俵数であろうから、実際の販売俵数は、この数倍に上っていたと考えられる。
 このような購入状況は、堆肥や厩肥とともに金肥の田畑への投入が一般化しつつあったことを示している。しかも、肥効力の高い金肥は、田畑の区別なく使用され、農業生産力の増大をもたらした。そのため、小農にも広く普及していったが、零細な経営に金肥の購入代金は重くのしかかっていくことになる。
 その苦しい農業経営の一端が「借用金証文之事」の中に現われている。天保九年(一八三八)には粕・干鰯買入れのため「金十両」(亀梨 鈴木重良家文書)の、嘉永元年(一八四八)十月には、粕・干鰯代金差支えにつき「金二分」(大谷 阿久津嘉一郎家文書)の借用金が見られる。また、万延元年(一八六〇)十二月の「質入相渡畑証文之事」(同上文書)では、粕代金差支えにつき「畑四筆」を担保に「金八両二分」を、慶応三年(一八六七)三月には、粕買入代として「金二両二分」(同上文書)の借用も見られる。
 一方、〆粕・干鰯を取り扱っている肥料商(太田村見目家)が、品物仕入代金を借用しているのが30表である。同表によると、肥料商は一回平均二百俵から三百俵の肥料を取り扱っている。これに自己資金による仕入れ俵数を合わせると、この二倍から三倍の俵数になろう。この大半は〆粕であり、高根沢町域では干鰯より〆粕の方がより多く使用されていた。
 高根沢町域と周辺の各村における金肥購入状況を、亀梨の鈴木家の売掛けによる販売データに基づいて表示したものが31表である。購入肥料を十年間継続して使用していた村は、町域では文挟村・伏久村・関俣村・上太田村の四か村である。天明三年(一七八三)の関俣村がそうであったように、これらの村々でも、田方畑方の作付に同様の購入肥料を使用し、農産物の生産高を上げるために努力していたといえる。
 
31-1表 亀梨村鈴木家の〆粕販売状況
                     単位:俵
地名\年代寛政寛政寛政享和享和文化文化文化文化文化
910111312345
文挟(高根沢)210.53443324.5
伏久(高根沢)423114.565911
関俣(高根沢)529181515465
上太田(高根沢)215623212
台新田(高根沢)9.5
和田(喜連川)2223121121
ひわが沢124332
桑窪(高根沢)12121725331
平田(高根沢)334
八ヶ代(南那須)2312
上松山(氏家)4
鴻野山(南那須)2.513134
芦桶沢1122
中の内(南那須)2122
大用地4631236
大谷(高根沢)83210111296
西高谷(高根沢)5452
土室(高根沢)11113208
前高谷(高根沢)1113
金井(烏山)31
西2
柿ノ木沢(氏家)2
大赤根1
烏麦(南那須)104
小倉(南那須)1610
東高谷3
八ツ木(芳賀)4
栗ヶ嶋(高根沢)
籠岡5
根本(氏家)
喜連川10
その他434917113514423231578
合計826760.5111184.5255575558134.5

出典:亀梨 鈴木重良家、「粕千鰯売場控帳」「粕売上帳」(各年)より作成
注.地名の( )内は、現市町村である。
 
31-2表 亀梨村鈴木家の干鰯販売状況
                     単位:俵
年代寛政寛政寛政享和享和文化文化文化文化文化
地名910111312345
文挟(高根沢)111
伏久(高根沢)26625
関俣(高根沢)17315623
上太田(高根沢)413
台新田(高根沢)
和田(喜連川)2
ひわが沢
桑窪(高根沢)7
平田(高根沢)5
八ケ代(南那須)3
上松山(氏家)
鴻野山(南那須)6
芦桶沢1
中の内(南那須)1
大用地13
大谷(高根沢)29
西高谷(高根沢)2
土室(高根沢)1111
前高谷(高根沢)
金井(鳥山)
西
柿ノ木沢(氏家)
大赤根
烏麦(南那須)
小倉(南那須)
東高谷
八ッ木(芳賀)
栗ケ嶋(高根沢)9
籠岡
根本(氏家)3
喜連川
その他314217634138
合   計7457012661212

出典:亀梨 鈴木重良家、「粕干鰯売場控帳]「粕売上帳」(各年)より作成
  注.地名の( )内は、現市町村名である。