高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅰ

第四編 近世

第二章 近世高根沢村々の成立

第四節 農業の発展

一 農村の変容

 寛延二年(一七四九)の「上高根沢村差出明細帳」(史料編Ⅱ・一四頁)によると、同村は、周辺の村々から小河川が流れ込み、用水が豊富な村であった。いかめ川・長宮川・海老川・山根川・石沼川・行沢川などの用水を利用することにより、かなり開発は進んでいた。加えて村内に五十町歩ほどの草刈り場を「上ノ原」に持っていた。同村の戸数は二百三十七軒、人口千二百五十一人、馬七十頭である。平均すると、一軒当たり約五人家族であり、三軒に一軒は馬を飼育していたことになる。
 また、同帳には、同村の購入肥料状況と農作物の概要も示されている。それによると、干鰯と糠を金額にして三分から一両一分で購入し、田・畑一反歩に施している。干鰯は一俵約一分であるから、田・畑それぞれに一反歩当たり三俵から五俵の干鰯が使用されていたことになる。
 田方の作付は、春の土用入り過ぎから苗代を始め、五月中に田植えをし、秋の土用に裏作の大麦・小麦を蒔き付けた。種籾は、一反歩につき七升から八升を必要とした。稲の品種は、伊勢こぼれ・中かみ・ゑみて、ほうす・をくかみ・かいちう・ひせん・かいちう餅・沢なりて・をくひせん・白もちなどの多岐にわたっていた。
 品種のこうした多様化により、気候および地理的条件に応じた適性品種を選択することができるようになり、また、凶作の際の危険を分散させることも可能になった。他方、上田・中田・下田・下々田に応じて早稲・中稲・晩稲の品種が作付され、田植えと収穫時期における労働力の分散がはかられている。小農民にとって、集中的に多くの労働力を必要とする田植えや稲刈時期を分散させることによって、家族内労働力で農業経営を行うという小規模農業経営が行えたのである。
 畑方の作付は、粟・稗・大豆・芋・小豆・綿・大角豆・もろこし・煙草・大麦・小麦・菜大根・そばなどである。これらの品目中、比較的換金性のある作物が上畑に作付られ、稗・粟・菜大根・そばなどの自給用作物は中畑・下畑に作付けられている。これに用いられる肥料は、堆肥・木灰・干鰯などであるが、田畑ともに干鰯と糠を七斗から一石二斗施肥している。このことから、田畑ともかなりの量の金肥を使用し、農産物の生産高を高めるための努力をしていたと考えられる。

28図 寛延2年村差出明細帳(上高根沢 高瀬晴基家文書)