高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅰ

第四編 近世

第二章 近世高根沢村々の成立

第二節 農民の身分と統制

五 宗門改め

 桑窪に寛政十二年(一八〇〇)の「下野国塩谷郡桑窪村宗門帳」(史料編Ⅱ・三四七頁)がある。
 この宗門帳によれば、桑窪村は、男百七十九人、女百四十六人、山伏二人、僧一人の三百二十八人とある。家数は、本百姓五十五軒、水呑四軒、前地一軒の六十軒である。
 檀那寺は、
  下野国芳賀郡稲毛田村崇真寺末寺 桑窪村 大安寺
  山城国京都聖護院宮末天台宗 千本中根村 玉泉院
  同国醍醐光厳院末寺真言宗 稲毛田村   崇真寺
の三ヵ寺である。
 名主は平左衛門、組頭は織右衛門と久左衛門、百姓代は弥助である。
 一枚目の最初の一人目に、
           持高七拾五石壱升弐合
                    平左衛門
  一 真言宗芳賀郡稲毛田村崇真寺旦那
                  当申七十七歳
とある。
 名主の平左衛門の檀那寺は、稲毛田村(芳賀町)の真言宗崇真寺であった。平左衛門の倅や嫁、孫など家族の七名も檀那寺は崇真寺である。しかし、平左衛門の前地・喜八の檀那寺は、桑窪村の真言宗大安寺であった。喜八の妻や弟の家族の三名の檀那寺は大安寺である。
 次郎左衛門は、自分の家族の七人と分地の三家をもつ。分地の金兵衛は家族五人、小七は七人、嘉平は四人いた。分地三家の合計は十六人である。次郎左衛門の家族と分地の二十三人は全て大安寺である。
 しかし、武内の家族の檀那寺は崇真寺と大安寺に分かれた。武内(五十歳)、倅の要吉(三十歳)、竹吉(二十八歳)、孫の要太郎(四歳)の四人は崇真寺である。女房のせよ(四十八歳)、娘のとみ(十九歳)、とめ(十五歳)、はつ(四歳)の四人は大安寺である。
 女房のせよには、「御領知板戸村五郎右衛門姉十一年以前縁付参り候」とあり、十一年前に武内と再婚したと思われる。娘のとみととめは前の夫の子であろう。娘のはつは、武内とせよの間に生まれた子であろう。
 天台宗は三人いる。修験者の法林寺と倅の斎宮と祐吉の三名である。斎宮も修験者である。法林寺の妻・もと、斎宮女房いち、娘・りよの三名の檀那寺は崇真寺である。
 桑窪村の旦那寺は、崇真寺が五十六名、大安寺は二百七十一名、天台宗は三名であった。村人の数が一致しないのは、宗門帳の新右衛門の「小以二拾四人内 男十二人」(史料編Ⅱ・三五三頁)、直七の「小以二十人内 女六人」(史料編Ⅱ・三五五頁)、久右衛門の「小以十四人内 男八人」(史料編Ⅱ・三五九頁)となるからである。
 この宗門帳には、妻や母の女性の名前と、戸主の持ち高が表記されている。
 20表「桑窪村 持高・家族数一覧」によれば、最大は、名主・平左衛門の七十五石余である。次いで、次郎左衛門の二十六石余である。最小は太右衛門の一石一升二合である。一人者の大吉と修験者の法林寺は無高であった。三十八家の持ち高の平均は約十三石九斗である。持ち高別に見ると、一石以上五石未満が九名、五石以上十石未満が十名、十石以上十四石未満が二名、十五石以上二十石未満が十名、二十四石以上二十七石未満が六名、七十五石以上が一名となる。十石未満が十九名と桑窪村の半分である。十五石以上が十七名である。持ち高で見ると十石未満と十五石以上に二極化している。
 七十五石余の平左衛門には、前地の喜八の家族四人が付属している。
 二十六石余の次郎左衛門には、分地・金兵衛の家族五人、小七の家族七人、嘉平の家族四人の合計十六人いた。その家族構成は次のようである。
 
  次郎左衛門  四十九歳
         次郎左衛門分地  次郎左衛門分地  次郎左衛門分地
   女房 よね 四十四歳  金兵衛 六十九歳  小七 六十四歳  嘉平 四十三歳
   忰 源治郎 二十八歳  女房 さつ 五十九歳  女房 たん 五十七歳  女房 せき 三十九歳
   女房 こよ 二十二歳  忰  平助 二十三歳  庄八 二十九歳  娘  まつ 十八歳
   忰 弥重 二十一歳  忰 与茂助 二十八歳  女房 もん 二十四歳  嘉七 四歳
   娘 さよ 十八歳  女房 きよ 二十四歳  庄八娘きく 四歳
     次郎 三歳   同人忰次郎 二歳  男十二人
                           小以二十三人、内
                  小七娘はつ 二十歳  女十一人
 
 分地の合計十六人の内、十四人が働き手になるだろう。次郎左衛門家では、二十三人中、二十人が働いていたことになる。
 本百姓三十八家の内、前地や分地を内包した家は、十七軒である。前地は一軒で四人、分地は二十八軒で百十七人である。宗門帳に記載された三百二十八人の中、前地と分地は三十七パーセントになる。前地と多くの分地の百姓が高持ち農家を支えていた。

22図 寛政12年の桑窪村宗門帳(桑窪 谷口高次家文書)


23図 真言宗 崇真寺(芳賀町稲毛田)


24図 真言宗 大安寺(桑窪)

 
20表 桑窪村寛政12年 持高・家族数一覧
名前 持ち高 家族数 内分地人数
1 平左衛門 75 . 0 1 2 12 ※4
2 次郎左衛門 26 . 5 1 8 1 23 16
3 直七 26 . 4 0 6 5 20 14
4 宇平治 25 . 4 3 5 2 10 2
5 新右衛門 25 . 4 2 1 5 24 18
6 彦右衛門 24 . 6 4 9 6
7 源蔵 24 . 4 3 8 1 14 9
8 清左衛門 19 . 3 5 4 5 13 7
9 武左衛門 18 . 8 2 7 3 5
10 友八 18 . 7 9 5 5 14 9
11 平七 18 . 6 7 2 12 6
12 清右衛門 18 . 1 7 4 8
13 喜八 17 . 5 3 0 5 7
14 久兵衛 16 . 6 9 1 7 2
15 利左衛門 15 . 9 5 8 11 4
16 勝之丞 15 . 7 1 1 6 5
17 銀右衛門 15 . 0 9 7 3 6 4
18 新八 13 . 2 8 0 7 2
19 久左衛門 10 . 9 9 8 9 12 3
20 善蔵 9 . 9 9 4 5 7 2
21 武内 9 . 9 5 8
22 安左衛門 8 . 4 3 7 5
23 吉左衛門 7 . 8 5 7 5 5
24 久右衛門 7 . 2 5 9 5 14 8
25 藤七 7 . 1 8 4 5 3
26 惣助 6 . 4 8 5 4
27 八助 6 . 2 7 3 5 4
28 市太郎 5 . 5 6 1
29 平蔵 5 . 5 0 2 5 11 7
30 弥四郎 4 . 6 4 5 6 9
31 弥助 4 . 6 2 5 4
32 大安寺 3 . 6 8 7 9 1
33 重右衛門 3 . 5 3 8 5
34 惣平衛 2 . 6 12 6
35 市左衛門 2 . 5 6 6
36 平治右衛門 1 . 9 9 6 4
37 清太郎 1 . 8 5 5 2
38 太右衛門 1 . 0 1 2 5
39 大吉 1
40 法林寺 6
合計 527 . 9 9 5 2 328 21

                            ※印・前地