高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅰ

第四編 近世

第一章 高根沢の近世

第二節 近世高根沢の村々

 喜連川丘陵の西端の丘陵上に位置し、街道を挟んで西側に上柏崎村、土室村と接する。亀梨村と上柏崎村は一体となって「台新田」と称し荷駄運送にあたっていた。近世初頭の寛永ころまでは那須衆の千本家領であったが、その後上知されて幕府代官支配となり、元禄のころは宇都宮藩領であった。一橋領の成立でその支配地になり、文政の上知された後は天領さらに旗本知行所として明治に至っている。石高は、二百三十三石六斗一升、うち田八十石余、畑百五十三石余(慶安郷帳)、二百四十石九斗八升一合(元禄郷帳)、二百四十三石四斗六升九合(天保郷帳)であった。
 村内は二組に分かれ、天保期には伝兵衛組(上亀梨村)が百七十二石余、戸口十八軒、七十八人に対し、七郎右衛門組(下亀梨村)が七十石余、戸口三軒、十九人であった。前者に禅宗量山寺、後者に法華宗妙福寺があった。