高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅰ

第四編 近世

第一章 高根沢の近世

第二節 近世高根沢の村々

 鬼怒川左岸に位置し、東は石末村に接している。中世の阿久津城跡があるこの村は、近世当初以来の宇都宮藩領であったが、天明二年(一七八二)の宇都宮藩の村替えによって上知され同八年まで天領となっていた。その後また宇都宮藩領となり明治に至っている。
 石高は、慶安元年(一六四八)の「慶安郷帳」では四百三十四石六斗五合、うち田三百六十一石余、畑七十三石余、元禄十四年(一七〇一)の「元禄郷帳」では五百十五石五升八合、天保五年(一八三四)の「天保郷帳」では五百二十石八斗三合と変遷していった。家数は、天保期で三十九軒、明治九年には四十九軒であった。幕末から明治にかけては中阿久津河岸が存在し、明治初年には荷船三艘があった。また、村内には稲毛田村(現芳賀町)の崇真寺末の真言宗華蔵寺があったが、幕末に火災で焼失しのち廃寺となった(「地誌編輯材料取調書」『高根沢町史資料集(別冊)』)。