高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅰ

第二編 原始古代

第五章 奈良・平安時代

第三節 律令制の衰え

一 古代荘園の出現

 大宝元年(七〇一)に成立した大宝律令により、天皇を中心とする律令体制が完成した。全ての土地と人民は国家のものとする公地・公民制が基盤となっている。中央集権の行政機構の設置。租・庸・調・雑徭等の税を人民から徴収するために、その負担を負わせるための口分田の割当を定めるたり、これを実施するための戸籍・計帳を作成する班田収授の法である。しかしこの法による人民の税の負担は軽いものではなかった。班田制下における重税に耐えられない人民の中には、口分田を棄て逃げだすものが現れ、それとともに口分田の荒廃が著しく増加していった。税の収奪にあえぎ、口分田を棄てて逃亡した農民は、他国や他郷の豪族・富農の下に取り込まれ、未開地の開墾等に携わるようになった。その結果、各地に新しい開墾地とそれを耕作する農民が誕生していった。
 開墾地は本来国家の所有物として、役所の土地台帳に登録されるのが律令制の法の趣旨であったが、開墾した者たちは簡単に土地を手放すことはなかった。また国が土地の登録を厳しくすると、開墾された土地が荒廃するなどしたため、元正七年(七二二)には、開墾者の一代から三代までの私有を認める三世一身の法を、さらに天平一五年(七四二)には、一定限度の開墾地の永世私有を認める永世私財法を制定しなければならなかった。
 律令の大原則であったすべての土地は国家のものとする法が、律令制定の約四〇年後には崩壊することとなったのである。