高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅰ

第二編 原始古代

第四章 古墳時代

第一節 古墳時代の概観

二 東国の首長とムラ


9図 四斗蒔遺跡・1号方形区画遺構の南堀の出土土器(「栃木県塩谷郡氏家町四斗蒔遺跡について」安永真一による)

 群馬県・三ツⅠ遺跡で大溝で区画された方形区域に、正殿と付属建物、井戸や祭祀施設らしい石敷遺構、竪穴住居などの各種遺構が検出され、古墳時代の豪族の居館跡と判明した。従前、古墳の墳丘に配置される家形埴輪の状態などから類推されてきた豪族の居館跡が眼前に姿を現したのだ。それから数年の間に関東各地でも同様例の発見が相次ぎ、「居館跡」は世の関心を集めていった。
 一九八八年、矢板市・堀越(当時は登内)遺跡で豪族居館跡とみられる方形区画遺構が発掘され人々を驚かせたが、その夏、圃場整備に伴う遺跡範囲を確認する発掘調査により、氏家町・四斗蒔遺跡で二つの方形区画遺構が隣接して発見され、学界の注目と議論を呼ぶことになった。
 四斗蒔遺跡は、幅二〇〇メートルほどの低台地に立地する古墳時代から奈良・平安時代にかけての集落跡で広域に遺物散布がみられる。土器片に人物、牛などを刻線で描いた「絵のある土器」の採集で知られる他は、特に目立たない遺跡だった。低台地は氏家・仁井田台地と呼ばれる田原面相当の細長い地形面で、一帯は「狭間田」の地名が示すように小さな川に刻されて、幾筋かの低地と微高地が発達している。四斗蒔遺跡の方形区画遺構は、その流れの一つ井沼川左岸に位置し、低地に接する段差の縁辺ぎりぎりに1号遺構があり、その東隣に境を接するように2号遺構が並んでいる。井沼川の侵食で1号遺構の西隣地域がかなり失われている可能性がある。
 二つの方形区画遺構は、周辺に同時期の竪穴住居跡が点在することから集落の中に他の住居と共存していたことが分かる。同じムラの中で特別に区画域を設けた意図は何だったのか。また、ここから北西約四〇〇メートルの地点はお旗塚古墳がある。これまで後期の円墳とみられてきたが、一九九一年の発掘調査で墳丘の囲りを二重の周溝が方形に廻ることが分かり、出土した土器から、四斗蒔遺跡の方形区画とほぼ同時期の古墳時代前期の方墳である可能性が高くなった。集落における方形区画の性格づけとともに、至近位置にある同時期の古墳との関係も重要な問題となっている。
 一九八八年の調査(安永真一 一九九二)と、1号遺構の性格を追求する一九九〇年の調査(橋本博文 一九九一)の報告により方形区画遺構の概要を述べる。
 1号遺構は、中軸線がほぼ南北に向いた方形で堀で囲まれる。規模は堀を含め、東西が三八・九メートル、南北が四一メートル。北辺と南辺の中央に四角の張出しがあり、後者には四本の柱穴が確認され櫓のような施設があった可能性がある。東辺と西辺の中央部には出入口施設と見られる溝跡や橋脚の痕跡がみつかった。堀は逆台形の断面で、内側が急、外側がやや緩やか、堀の中は外側から流れ込んだ大量のローム土で埋積されている。堀の掘上げ土を外周に沿って積み上げ土塁としたものと推定される。堀の中からは古墳前期の土師器がかなり出土しているが、南東隅付近の埋積土上部から一括投棄とみられる六個体の壺を主体とする土師器が出土しており、これらが1号遺構の下限の時期を示すらしい。
 区画内の状況は、調査中なので、詳細は分らないが、北辺張出しに近く一辺七メートルの大型竪穴住居跡があり、堀底の土器と同じ古墳前期の土器が確認されている。堀の内縁に沿って相似形に布堀(小溝)が廻る。塀か柵の施設が存在したのであろう。その他、区画内に数個の柱穴もみつかっており、掘立柱建物が存在したことも考えられる、という。 2号遺構はほとんど発掘されておらず、平行四辺形をなす堀の概形のみが確認されている。規模は、堀を含め東西約四三メートル、南北約五二メートルで張出し施設はないらしい。発掘時の出土土器から古墳時代前期のものと判断されるが、1号遺構との時期差は不詳であった。
 この二つの方形区画遺構は肝心なことが分からないことだらけである。まず、区画内にどんな施設があったのかが不明。
 「豪族の居館」を証する建物や各種の施設があるのか、またムラの構成と区画遺構との関係はどうなのか。1号遺構の防禦機能を思わせる土塁と堀、望楼の疑いもある張出し部、区画内を遮蔽する堀などの存在をみると、それらが平地の農耕集落にどんな必要性があったのか。
 二つ並んだ区画遺構には先後関係があるのか、あるとすれば古墳前期の短い期間になぜつくり替えたのか、また、至近位置のお旗塚古墳との関連はどうなのか。
 方形区画遺構はどの遺跡にもある代物ではない。滅多に見つからない遺構である。それが、近隣一帯を統括する地域的な首長のもつ施設であるとすれば、同時期の遺跡分布と照らし合わせて支配領域や社会構造を検討する上の基礎資料ともなるであろう。語るべき多くのナゾを秘めて四斗蒔遺跡は、まだ地中に遺構・遺物を埋蔵し続けている。

8図 氏家町・四斗蒔遺跡の1号方形区画遺構(1989年・現地説明会資料 橋本博文による)

溝で長方形に区画された居住区域。北辺溝、南辺溝の中央に張り出しが設けられている。居住区域の中央やや北寄りに大型竪穴住居跡があり、中心的な建物とみられる。図中、Trはトレンチ(試掘溝)のこと。なお、この1号方形区画遺構の東隣に同形の2号遺構の存在が確認されている。