守谷中央図書館/わたしたちの守谷市

『改訂増補 守谷志』

卷頭言

一、世の中は民主主義となつたといふても、國家の隆昌と人生の幸福を求むる爲には、お互に私利我慾を愼み、或る程の犠牲をその構成せる社會の上に拂つて、先づ以て自分の生存する社會の幸福から希はなければならない。その社會の最も自分に近いものは、いふまでもなく自分の郷里である。その郷土の幸福を計る爲めには、郷土愛護の念の養成を必要とする。それには又郷土の過去現在を知ることから始めねばならぬ。知る所に親しみ、親しむ所に愛念を持つのが人生の自然であるからである。郷土史闡明の要のある所以である。
一、我が國の過去は一概に封建制度であつたと片付けらるべきではない、ナル程地方は大名小名の領土に分たれてあつた。一應は封建の形ではあつた。然しながら地方自治制などは最も行屆いて發達して居つた。五人組の制度の完備はいふまでもなく、庄屋名主の職さへ村役人から惣百姓の合意によつて、推擧されたものであつて、世襲と即諾すべきものではない。唯幼少から己れを空うして公共の爲めに計る庄屋たり名主たるべく敎養されたものが、自然その役に就いたまでゝある。そんな事も郷土史硏究から知らるべきである。
一、自分が守谷に生れて、守谷の歷史を書いて見ようと志したのは、中學校在學中の時であつた。覺束ない筆を走らせて「我が郷の歷史」二十枚ほどのものを書いて、之を蒟蒻版に刷つたのもその頃の事である。それが廻はり廻つて國史界の大先學栗田寬先生の手元に入つて、激勵の言葉を傳へられたものであつた。これには當時の自分は光榮を感ずるといつたよりは寧ろ冷汗三斗の思をしたのであつた。それから大學在學中に書いたのが本文二十二頁、附録三十五頁の「守谷志」で、これは明治三十三年に上版して同好に頒つた。その時には相當に調べて書いたつもりでもあり、上版に先だつて當時の國史學主任敎授の三上參次先生の閲覽を經たものであり、敢へて良い氣持といふほどでもないが、それほと杜撰なものゝやうにも考へなかつたのであつた。それが段々時を經るに隨つて、次ぎ々々に、足らぬ事、誤つた事なども發見しては、目を蔽ひ耳を蔽ふて過ごさねばならぬほどイヤなものになつて來た。愚劣な頭腦にも幾分の進みがあつたが爲めでもあらう。然るにその「守谷志」は長い間に存外に世の中に廣まり、學界の人々の手にも入つて、其處比處で話の出ることも少くないやうになつた。而してその話を聽く毎に自分は穴にも入りたいやうな氣持にならざるを得なかつた。それと共にコレは郷里の爲めにも自分の爲めにも、ドウしても書き直して置かなくてはならないと考へた。それから以後、餘暇を以ては材料を集めたり參考になるものを觀たり、又その間には筆を執つたりして、兎も角もまとめ上げたのがこの冊子である。骨子になる分を書き上げたのは何年か前のことであるが、荏苒して時を過ごした。その内に世は移つた。近くは日華事變から、太平洋戰爭、續いて終戰後の混迷といふ時代が到來した世相は落着かず、資材は不足する。労銀も物價も高騰する。それが即今の現實である。此際自分も永年の東京生活を棄てゝ郷里歸住の身となり、切實に郷土志としての「守谷志」刊行の要を感ずるに至つたが、限られた狹い範圍の要望に應ずるものだけに、印制部數も幾百といふ少數に限られ、隨つて同好に頒つにしても一冊の單價も殊の外に高いものになる。それが又逆に要望範圍を一層ば狹めるといふ結果になるので、他から特殊の援助でもない限り上版は愈々困難といふよりも寧ろ不能に近いともいふべき情勢になつた。されば將來幸ひにして好機到來の時があれば、それはその時の事として、一たびは思ひあきらめて筐底に收めたのであつた。これがこの册子前半の運命である。
然るに此間、會々本年一月二十九日、長女千代子が不圖した病氣が遂に惡化して現世を去るといふ不幸に會した。春淺うして開くべき花の開かずして萎んだものでもある。私の關係方面及知友諸君、并に千代子の關係方面及友人諸子は、何つれも之に對して深甚の同情を寄せて弔意を表せられ、葬儀に際しては、くさ/゛\の供物まで靈前に寄せられた。寔に感謝に耐へない。飜つて想ふに、千代子が生前に於て唯一とまでは言ひ得ないにしても最大の趣味は讀書と文筆に親しむことにあつた。今この不幸に際してその靈を慰むる一つとして本書の上版を遂ぐることは自分として甚だ意義のあることゝ考へた。而してそれは又同時に篤き弔意を寄せられた各位の厚情を記念することにもならうと信じたので、遂に之を敢行することにした。かくして或は闇から闇に沒すべき運命にもあつた本書は、日光を浴びて世に見ゆることになつたのである。之によつて學界の爲め郷土の爲め幾分なりとも益する所あらんには更に望外の幸とせなくてはならない。
一、理想からいへば、本書には地圖や寫眞版も幾何かは挿みたかつた。部分的には、も少し詳しく説明したい所もあつた。參考資料もモツト添へたかつた。それもこれも省けるだけは省いた。亦據ない所とする。
一、假名遣ひは、すべて歷史的假名遺ひにしてある。それは大部分書いた時のもの、そのまゝでもあるし、又新制假名遣ひなるものは、今試練中のものであつて、果して永久的のものたるや否、分らないものであるが爲めでもある。
昭和二十四年五月八日
齋藤隆三識