守谷中央図書館/わたしたちの守谷市

『守谷わがふるさと』

守谷の歩み

世相・風俗

①守谷の八坂神社祭礼▶大正10年ごろ_1①守谷の八坂神社祭礼▶大正10年ごろ_2

①守谷の八坂神社祭礼▶大正10年ごろ

神輿(みこし)、山車(だし)、仮設舞台での神楽(かぐら)など盛沢山の催物がある。もとは旧暦六月十一日から十五日まで行われていたが、今では七月の最終土曜日に行う。
②笠踊り▶昭和15年11月

②笠踊り▶昭和15年11月

昭和十五年(一九四〇)十一月十五日に守谷の八坂神社で行われた笠踊り。どういう事情で笠踊りが開催されたのかは不明。
③野木崎の八坂神社祇園祭▶昭和初期

③野木崎の八坂神社祇園祭▶昭和初期

当番制によって定められた氏子の青年(若衆連と呼ばれた)が、揃いの衣装を着て神輿が巡行する先頭に立ち、神馬を引きながら村内を練り歩いた。神馬に仕立てる馬は、主に坂手村、菅生村、内守谷村から当番の者が借りてきた。昭和十二年(一九三七)ごろまで行われていた。

 
 
①七五三▶左・昭和初期、右・昭和12年ごろ_1①七五三▶昭和初期、右・昭和12年ごろ_2

①七五三▶左・昭和初期、右・昭和12年ごろ

本来は三歳の男女が行う髪置きの儀、五歳男児の袴着の儀、七歳女児の帯解きの儀をいう。しかし、守谷地方では総称して「帯解き」、あるいは「紐解き」といい、男女とも数え七つの年に行うことが多い。
②合同紐解き▶上・昭和36年、下・昭和38年11月15日_1②合同紐解き▶上・昭和36年、下・昭和38年11月15日_2

②合同紐解き▶左・昭和36年、右・昭和38年11月15日

新生活運動の一つとして行われた行事。昭和三十一年(一九五六)に始められ、四十八年(一九七三)ごろまで続けられた。
③第1回大井沢村成人式▶昭和27年2月10日

③第1回大井沢村成人式▶昭和27年2月10日

④青年證(しょう)書▶昭和26年1月

④青年證(しょう)書▶昭和26年1月


 
 
①花嫁行列

①花嫁行列

①②婚礼
町内屈指の豪商「植田屋」の野口きゑさんの婚礼。提灯をかざしている人物は守谷町の鳶(とび)職の頭。
②婚礼

②婚礼


 
 
①上床重幸氏の町葬▶大正9年

①上床重幸氏の町葬▶大正9年

大正九年(一九二〇)三月、現職中死亡した旧守谷町町長上床重幸氏の葬儀。僧侶が四人もおり、柩(ひつぎ)を「上げ輿(こし)」に納める葬儀は、普通庶民の間ではほとんど見られなかったものである。なお上床氏は、かつて取手警察署長を務めた人物で、遺族は鹿児島県に住まわれているらしい。
②斉藤斐氏の葬儀▶昭和13年12月_1②斉藤斐氏の葬儀▶昭和13年12月_2②斉藤斐氏の葬儀▶昭和13年12月_3

②斉藤斐氏の葬儀▶昭和13年12月

県経済界の重鎮であっただけに、葬儀の規模は上床氏のそれをさらに上回っている。

 
 
①オビシャ(オピシャ)の的

①オビシャ(オピシャ)の的

①―③オビシャ(オピシャ)
御歩射、御奉射、御奉社など表記は様々で、一定していない。仲町、大木、立沢、板戸井などの地区に伝えられている。ここでは仲町のオビシャを紹介することにする。
(1)的には三本足のカラスを描く。
(2)弓、矢、的、注連繩(しめなわ)を神前に供える。
(3)的を矢で射て、その年の吉凶を占う。
②神棚に供えられた的、弓矢、注連(しめ)縄

②神棚に供えられた的、弓矢、注連(しめ)縄

③弓で的を射る

③弓で的を射る


 
 
①アワントリ▶昭和47年

①アワントリ▶昭和47年

左義長(さぎちょう)とかどんど焼きといわれている行事を、守谷近辺ではアワントリという。篠(しの)竹の先に餅(もち)を刺して、アワントリの火で焼く。この餅を食べるとカゼをひかないといわれている。
②左・清滝・香取両神社の力石、右・浅間神社の力石_1②左・清滝・香取両神社の力石、右・浅間神社の力石_2

②左・清滝・香取両神社の力石、右・浅間神社の力石

力石
力試しに使われた石をいい、表面に重量が彫られている。村の鎮守は「若い衆」の集いの場。若者が集まると、よく力自慢をしたものだった。神社の境内に力石が置かれていたのは、こうしたことから。余談ではあるが、この若い衆の集まりがやがて青年会、そして青年団へと発展していった。
※力石に刻まれている文字
右(高野の浅間神社にある力石)
奉納
明治十六年十一月吉日
力石七十〆目余
当邨
瀬尾為吉

左(滝下の清滝・香取両神社にある力石)
明治四拾四年八月
当村川西
塚田栄治朗
年廿三才持之