常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第四編 近現代

第六章 つむぎと町のにぎわい

第二節 マチの生活と祭り

新石下と本石下において毎年七月十四、十五日に行なわれる祇園祭は、古くからマチの夏の風物詩として、人々に親しまれてきた。
両地区におけるまつりの諸役を比較してみると、新石下においては氏神稲荷神社の氏子総代三名、各町内(宮一、宮二、寿町、栄町、横町、新中、新下、横堤であるが、新中、新下がさらに分化している)の区長、それに新石下青年会が加わり、祭りの執行役となる。これに対して本石下では、まず本上町(上宿)、本中町(中宿)、本下町(下宿)、松葉、浦宿、川端、美好町の七町内の区長から祭り委員長、副委員長、会計がそれぞれ一名ずつ選ばれる。この祇園祭の三役は、祭りの費用面を中心に、行事が無事済むように目を行きとどかせる役で、いわば祭りの責任者といえる。次に、七町内から一名ずつ選ばれる役としてウジコ(氏子)があり、内一名は氏子総代となる。氏子の役割は氏神八幡神社において、神輿へ御神体を移すことなどが主である。さらに本石下では、各町内から二名ずつ(本下町と美好町は合わせて二名)、計一二名のシンジ(神事)という神輿渡御における責任者を選ぶ。
 祭りの準備としては、一か月前の六月十五日に行なわれる、トウジメから始まる。新石下ではこの日をトウジメマツリといって、午前一一時頃に氏神稲荷神社に、祭りの役員と青年会の者が集まる。稲荷神社では、祭りが無事に行なわれるようにと神主に祝詞をあげてもらう。当日の仕事としては、祭りに関する諸事の取り決めはもちろんのこと、区長たちは町内からの負担金を戸毎に集めて回る。また青年会の者たちは地区内の各辻ごとに竹二本立て注連を張り、祈禱のお札を立てて歩く。そして、氏子総代と青年会の幹部の立ち合いのもと、神主に祝詞をあげてもらう。
 本石下ではこの日をドウジメダシという。午前中に各町内の区長、神事一二名、神主それにドウジメの当番となっている町内の者が浦宿の行屋に集まる。ここでも元々は地区の各辻に竹と祈禱札を立て、神主に祝詞をあげてもらったが、今では地区の上と下の一か所ずつしか立てない。またドウジメの竹を立てる役は、本石下の中で五、六戸が一組となって、順々に当番として回った。
 ドウジメから祭りまでの一か月は、両地区とも提灯を新しくしたり、神輿や山車の装飾や整備に余念がない。そして祭り直前になると、まだ青い稲穂をとって来て、神輿の上にある鳳凰にくわえさせる。
 新石下、本石下とも七月十四日の昼過ぎからは神輿が担ぎ出される。新石下では朝早くから、青年会の者たちが揃いのハッピ姿で稲荷神社に集まり、御神酒を飲みながら神輿が出るのを待っている。そして昼過ぎには神主によって、御神体がお仮屋の神輿に移され、町内を練り歩く。
 

Ⅵ-3図 マチの祭り

 本石下では十四日の朝には氏神八幡神社に幟が立てられ、午後からは神輿の宮出しとなる。そしてここでの担ぎ手は、今では事前に申し出た人々であるか、もとは本石下を半分にして一年交代で担ぎ役を行なった。本石下の各家にはハクチョウ(白張―白い木綿地の狩衣)があり、担ぎ役となった家では、家長またはその息子が、それを着て務めなければならなかった。そして身内に不幸があった場合には、担ぎ役を遠慮した。また担ぎ役に当っているものの、都合がつかない時には、他の者に替ってもらうことも出来た。
 まつりのホンビ(本日)である十五日となると、新石下では朝早くから、ドウジメをした一一か所の辻で、ツジガタメ(辻固め)を行なう。これは注連の張ってある下に神輿を止め、祭りの役員や近所の人々が揃った所で、神主に祝詞をあげてもらうというもので、それが済むと青年会の者たちが参会者に湯飲みで酒を振る舞う。辻固めは悪病などの侵入を防ぐ意味で行なわれ、本来は神輿を担いで回ったが、今では小型トラックに神輿をのせて各所を回り、辻固めを終えて稲荷神社に戻る時には、奉納の御神酒でトラックが一杯になってしまうという。
 本石下においても、十五日にお仮屋から出された神輿は、決められた行程に従って練り歩いていき、ドウジメの竹の所に来ると辻固めが行なわれる。
 新石下では辻固めが済むと、再び神輿は青年会の者たちによって担ぎ出され、夜の一〇時過ぎまで各町内を練り歩く。
 祇園祭りにおいては、神輿同様、お囃子連の乗った山車も欠かせぬもので、新石下では、今は囃子を岩井地区より頼むようであるが、昔は神田囃子を他地区から頼んでいたようである。また本石下には囃子の専門家がいたので、村外から人を頼む必要はなかった。
 そして十五日の夜ともなると、新石下の山車と本石下の山車が向い合って、囃子や踊りを競いあった。そして石下の祇園では死人が出たこともあるように、担ぎ手が興奮してくると、神輿同志のぶつかり合いや、神輿を山車にぶつけるなど、祭りの激しい一面もみせてきたのである。