常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第四編 近現代

第五章 戦後の石下地方

第二節 土地を働く農民へ

農地改革は、連合国軍の日本民主化政策の主要な一翼を担うものであった。終戦後間もない十二月九日に、連合国軍総司令部は、農地解放指令ともいうべき「農地改革に関する覚書」を発した。当時は日本政府の主導により農地調整法改正案が審議中であった。日本農業における地主的土地所有の重圧を、いくらかでも軽減したいという要請は、すでに戦時中からみられるところであり、「互譲相助ノ精神ニ則リ農地ノ所有者及耕作者ノ地位ノ安定及農業生産力ノ維持増進ヲ図ル」とする農地調整法は、昭和十三年に成立している。改正農地法は、「覚書」にせき立てられるように十二月十八日に貴族院を通過成立した。しかしここでは小作料の金納化と農地価格を決定したにとどまり、地主的土地所有の解体を期待する連合国軍総司令部の意に沿うところではなかった。
 農地改革を実施する拠り所となった自作農特別措置法と農地調整法の二つの法律は、翌年十月に公布された。この間日本政府と連合国軍総司令部の間で、いくたびかの折衝が重ねられたことはいうまでもない。
 改正農地調整法は、農地委員会の設置、農地等の権利移動の農地価格および小作料統制、賃借金の保護等を定めている。農地委員会は、県、市町村に設置されたが、これが農地改革の実行の任にあった。委員は地主、自作、小作の階層別に選挙によって選出された。
 自作農創設特別措置法は、農地の買収と売渡しについて規定している。
 政府の買収する農地は、
 
  (一) 不在地主の所有する小作地の全部
  (二) 平均一町歩を超える在村地主の所有する小作地
 
となっている。(二)については、自作地と小作地の合計が平均三町歩を超えてはならないとされたので、在村地主でも自作地が二町六反あるものは、小作地は四反しか所有できないことになる。ただしこれは平均として定められた数字であり、具体的には都道府県ごとに地域を分けて決定することとされた。茨城県では県内を郡単位で五区に分けて在村地主の保有限度面積が決定された。結城郡は東茨城郡、鹿島郡とともに第三区に入っている。ここでは、在村地主の保有できる小作地は一町一反、自作兼地主については、自作地と小作地の合計面積が三町七反を超えないこととされた。
 買収手続は、市町村農地委員会が農地の買収計画を決定し、都道府県農地委員会の承認を経て、知事が買収令書を交付することになっている。在村地主の小作地について、どこの部分を地主保有地として残すかは、利害がからむ結果、小作勢力の強い委員会と地主勢力の強い委員会とでは、差が生じることになるし、両勢力間の抗争も生じたのである。
 政府によって買収された農地は、それを耕していた者、昭和二十年十一月二十三日に遡及して買収された分については、その時点において耕作していた者に売渡されることが原則であった。売渡しの対価は買収の対価(田では土地台帳に登録された賃貸価格の四〇倍。畑で四八倍)と同じである。これは三〇年以内、年利三分二厘の均等年賦支払によって支払われた。
 右のような手続を経て行なわれた農地改革を、町域についてみておくことにする。
 表Ⅴ-1表は旧町村別に農地改革前の昭和二十年十一月二十三日現在の自作地、小作地別面積と農地改革がほぼ終了したとされる昭和二十五年八月一日現在のそれとをみたものである。改革前の小作地率の高さは、石下町と飯沼村において圧倒的であった。しかもこの二町村では、買収、所管替面積の小作地に対する割合が低く、昭和二十五年の小作地率の高さにおいても、それぞれ五町村の上位を占めているのである。
 
Ⅴ-1表 農地開放実績
昭和20年11月23日現在農地面積買収,所管替
面積
売渡し
済み
面積
昭和25年8月1日現在農地面積
自作地小作地小作地
実 数小作地
に対す
る割合
自作地小作地小作地
 
茨城県計

96 496.4

116 924.6
%
54.8

213 426.0

88 802.1
%
75.9

87 022.5

184 893.2

30 755.5
%
14.3

215 649.9
結城郡計6 100.610 387.363.016 488.08 791.884.68 362.414 583.41 956.311.816 539.8
 玉 村231.2260.053.0491.2220.584.6201.0423.058.213.9491.2
 石下町68.3348.983.7417.2266.176.4265.4333.082.519.8415.9
 豊田村206.0225.152.2431.1172.676.4169.6374.655.112.6429.8
 岡田村217.6258.854.4476.4210.681.3209.9427.748.710.3476.5
 飯沼村94.0741.988.7835.9611.782.5603.3698.4138.316.5836.7
畝以下は切捨てた.農林省農地局農地課「農地等開放実績調査」(『茨城県史料 農地改革編』430~431ページ)による.


 
 このように高い小作地率を残したのは、在村地主の存在の多寡によって説明されるであろう。
 Ⅴ-2表は、農地を買収された地主を在村、不在村についてみたものである。石下町、飯沼村においては、在村地主が高い構成比をもっていることが指摘される。不在村地主が土地の保有を認められなかったのに対し、在村地主は、結城郡で一町一反の保有を認められていたため、このような数字をもたらしたものと考えられる。
 
Ⅴ-2表 農地を買収された地主の戸数
個 人 地 主法人団体
在  村不在村在 村不在村
茨城県計39 054 (47.3)43 3432 919355
結城郡計3 307 (51.3)3 13332129
 玉 村129 (41.2)1847
 石下町123 (47.1)13814
 豊田村110 (36.4)19212
 岡田村60 (38.2)977
 飯沼村142 (45.9)16718
( )は個人地主のうち在村地主の割合.前表と同一史料による.


 
 茨城県における農村の地主的支配構造は、つとに指摘されているところである(以下『茨城県史料農地改革編』による)。県内三七七〇の農業集落のうち五八%が「ほとんど小作農」の集落である。このうち五〇町歩以上の大地主が支配する集落は二二%にすぎない。中小地主についていえば、五七%が在集落である。このような在村中小地主が支配的であった茨城県における、昭和二十五年における小作地率は一四・三%にも達していた。一〇〇〇町歩以上所有の地主が名を列ねる新潟県においては、小作地率六・六%にすぎない。
 これを町域についてみれば、旧石下町および飯沼村において、改革はより多く困難を伴ったとみられる。