常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第四編 近現代

第四章 恐慌から戦争へ

第三節 あいつぐ水害

町域を南北に流れる二本の川は、旧来町域の発展に寄与してきた。これらの川の沖積層が旧岡田、豊田両郡に肥沃な土地をもたらしたことも事実である。また、古代よりこの地方において、二本の川について、さまざまな伝説が作られ、歌にもよまれ、小説にも描かれ、絵にも画かれてきた。しかし、指呼の間を流れるにしては、両者の性質は異なりすぎている。
 大正末年に出版された『結城郡郷土大観』は、両者の比較を試みている点で興味深い。両者の差異は、つぎの八点に要約される。
 
  (一) 水量は鬼怒川が多く小貝川は少ない。これは水源の差による。前者の源は下野那須山系に発し、五
     十里(いかり)川、大谷川、田川の水を合わせて南東に流れる。当然水量は多い。これに対し、後者は
     夏には歩いて渡れるほど水量が少ない。水源は下野高野村で、下野東部の水を集めて南に流れるので
     水量は少ない。
  (二) 鬼怒川は東南風により増水し、小貝川は東北風により増水する。これは水源地の所在が異なるため、
     風向によって水源に降る雨の量に差が出るためである。
  (三) 鬼怒川は増水、減水とも速いが、小貝川はいずれもきわめて遅い。鬼怒川の傾斜が急であるためで
     ある。しかし小貝川の流速も著しく速くなったが、これは水源地の森林の濫伐のためであろう。
  (四) 鬼怒川の水は澄んできれいであり、洪水時には白濁する。小貝川の水は普段でも濁っており、洪水
     時には暗緑色に変わる。これは両者の水源地の地層の差異に由来する。
  (五) 鬼怒川の川幅は広く、屈曲が少ないのに対し、小貝川は川幅狭く屈曲して流れる。これは(三)の増
     水、減水の時間の遅速にも関係するところである。
  (六) 鬼怒川の川底は多くは平らであるが、小貝川は凸凹、浅深が一定していない。
  (七) 鬼怒川の水利は江連用水、吉田用水によって行なわれるが、小貝川では、福岡、岡、豊田の三堰に
     よっている。
  (八) したがって、運送力は鬼怒川が決定的に優位に立つが、小貝川では三堰のために連続運行の便はな
     く、鬼怒川の補助運輸の地位に甘んじている。
 
 鬼怒川も小貝川も、増水、氾濫ということになれば、当然猛威をふるい、流域の町村を簡単に濁流にのみこんでしまう。Ⅳ-3表は明治から昭和戦前期までの利根、鬼怒、小貝三川の洪水を累年表にしたものである。
 
Ⅳ-3表 利根川,鬼怒川,小貝川の洪水
利 根 川鬼 怒 川小  貝  川
明治 1(1868) 5月洪水
   2(1869) 9月20日出水
   3(1870)?月28日出水
       7月18日
       9月18日出水,決潰
   8(1875) 9月17日出水
   9(1876) 9月17日出水
  11(1878) 8月25日堤防決潰
  15(1882)10月29日出水洪水
  17(1884) 9月18日出水
  18(1885) 6月下旬洪水,堤防決潰
       9月大洪水大洪水,破堤(押砂地先)
  21(1888) 7月24日出水
  22(1889)出水
  23(1890) 8月 2日
       8月下旬
出水大洪水
  25(1892) 8月24日出水
  27(1894)洪水
  28(1895) 8月 9日出水
  29(1896) 9月11日出水,堤防決潰出水(北文間村など2か所)
  30(1897)大洪水
  31(1898) 7月洪水
       9月 8日出水
       10月沿岸浸水
  33(1900) 7月 9日下利根川出水
  34(1901) 8月10日流域大洪水
  35(1902) 9月28日出水御城堤防決潰
  37(1904) 7月13日出水
  39(1906) 7月18日出水
       8月21日出水,堤防決潰出水(北文間村)
  42(1909) 9月氾濫
  43(1910) 4月 6日未曾有の大洪水
       8月堤防決潰大洪水大洪水
大正 5(1916) 7月下旬沿岸浸水
   9(1920) 9月25日出水
昭和 2(1927) 9月大洪水(長押土手決潰)
  10(1935) 9月24日洪水決潰(高須村)
  13(1938) 7月 1日洪水堤防切り排水決潰
       9月 2日洪水
  16(1941) 7月洪水大洪水(三妻地区溢水)大洪水
  18(1943)洪水
大谷恒彦『水と闘う―八間堀川沿岸土地改良区史―』141~2ページによる.


 
 表によれば、利根川の洪水、出水が圧倒的に多い。これに対して、鬼怒、小貝の洪水発生回数はずっと少なくなっている。さらに両川についてみれば、小貝川のほうが氾濫する頻度が高い。
 これは堤防の修築状況とか水源地の森林の伐採など人為的な条件は措いて、自然的条件についてみても、さきにみた両川の特質から説明することができる。
 「小貝の九十九曲がり」といわれているとおり、小貝川の河道の曲折は多い。古来河道の改修は幾度も行なわれているものの、現在の地図において、下妻から水海道まで蛇行を重ねる小貝川の曲折点は三八か所を数えるという。これに対して鬼怒川では一〇か所にすぎない(大谷恒彦『水と闘う―八間堀川沿岸土地改良区史』一三八頁)。この曲折部が小貝川の流水を遅らせるのであり、鬼怒川においては、上流で降った雨は一日で下流部に着くのに対し、小貝川においては、中下流部の増水が一日遅れるといわれるのはこのためである。しかも増水した流れにより通常に数倍する水圧が曲折部に加わり、堤防の決潰、氾濫をもたらすのである。さらに小貝川にとって悲惨なのは、利根川近くの下流部において、利根の逆流水圧によって堤防が破壊されることもあったことである。
 以下、明治と昭和期の水害についてみておこう。