常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第四編 近現代

第三章 大正期の石下地方

第四節 村の自治組織と家族・親族

村落=ムラには、家を最小の単位として人々の生活をより円滑にするための内部組織が重層的に存在している。ここでは小保川、蔵持、崎房の三地区の事例を取り上げ、これを比較しながらムラの区分と内部組織をみていくことにする。
 
小保川の内部区分組織
本石下の北、鬼怒川東岸の水田地帯に位置する小保川は近世の藩制村で、町村制施行後は大字として玉村の一集落となった。小保川の内部は、ムラの中央を通る用水路を境に東西に分かれ、さらに西は南北に区分される。小保川ではこのようにムラを地域的に区分した形の組織をツボ(坪)といい、それぞれ東坪、西坪、中坪と呼び、これを単位として行屋での寄合などが持たれた。そしてこの区分は、戦後行政的に自治会という組織名に変更されて引き継がれることになるが、人々の間では今日も東坪、西坪、中坪という呼称は使われている。
 次に、ツボの下部組織としていくつかのクミアイ(組合)がある。東坪は北・中・南の三組合、中坪は四組合、西坪は南・北の二組合に分かれていた。このクミアイといわれる近隣の家々の集まりは冠婚葬祭における付き合いの一単位であり、戦時中の隣保班に引き継がれ、その後も戸数の増加など必要に応じて再編されていくことになる。
 

Ⅲ-6図 小保川の家屋配置図

 
蔵持の内部区分組織
蔵持は鬼怒川西側の田畑混在地域に位置する戸数五〇戸余のムラである。ムラには鎮守香取神社の前を通るホンドウリ(本通り)沿いのホンデン(本田)と県道沿いのシンデン(新田)という地域的区分がある。さらに享保年間の古間木沼の新田開発にともなって蔵持新田が成立し戸数が増加した。旧蔵持地区のホンデン・シンデンは今日においても蔵持第一町内会=シンデン、蔵持第二町内会=ホンデンとして継承されており、葬儀の時にはツボキリ(坪切り)といってそれぞれの町内会単位に互助組織が作られる。しかしムラの様々な取り決めなどは、蔵持全体の寄合によって話し合われ、ツボとしての独自的な活動は行なわれなかった。
 蔵持における近隣組織としては近世以来のゴケングミ(五軒組)とクミアイ(組合)がある。ゴケングミは家並順、一定戸数を原則に作られた近隣組織で、戦中には班として再編され、主に行政補完的な機関としての性格を持つことになる。これに対し、冠婚葬祭を進めていく上での生活互助組織となっているのがクミアイ(組合)である。クミアイもゴケングミ同様に地縁的つながりをもとに構成されるが、家々の組み合わせはそれとずれがあり、クミアイによっては家々の系譜的な関係の結びつきを持つことからホンデン、シンデンの区分を越えて混在しているものもある。
 また蔵持には、ゴケングミ・クミアイの他に大杉様の組と呼ばれる近隣の家々によって作られる祭祀組織がある。これは毎年十一月二十六、七日の大杉祭りの際に饗宴の準備を行なう祭祀当番であり、組内の一軒がヤド(宿)となる。この祭り当番の組はゴケングミをもとにして作られたもので、ムラの中でも古い家々が加入していて、ホンデンに上・中・下の三組、シンデンに前・後(外)の二組と計五組に区分される。
 
崎房の内部区分組織
崎房は鬼怒川西側の台地上に位置し、南は東仁連川をはさんで飯沼開発によって成立した孫兵衛新田、左平太新田などの新田村落と向きあい、北は入沼排水路付近にある一部水田を除いて畑作地帯が広がる。藩制村=大字としては崎房であるが、その中に南坪、北新田、西山の三つのムラがあり、それぞれツボ(坪)と呼ばれる。
 崎房の神社祭祀をみると、以前は各ムラごとの氏神社(南坪―天満社、北新田―月山神社、西山―龍神社)と崎房全体の氏神である香取神社で祭りが行なわれていたが、大正元年の神社合祀以降、崎房全体の氏神祭として南坪の天満社で初天神祭(一月二十五日)を行なうようになった。そして各坪では祭り当番が決められ、その中の一軒がヤド(宿)となって祭りを執行していくことになった。
 
 次に、各ムラ=ツボの内部組織に注目すると、その内部はいくつかのクミアイ(組合)に区分されている。そしていずれのクミアイも農作業をはじめ、冠婚葬祭の手伝い合いに至るまで、あらゆる付き合いの根幹となっている。
 以上、三つの事例をみただけでも、ムラの内部区分組織には種々なものがあり、重層していることがわかる。この三つの事例の中でまず注目されるのがツボ(坪)という言葉に対する認識の相違である。小保川の場合、ツボはムラ内を区画した地域単位つまりムラ運営を分担し執行する下部組織=村組として捉えられるが、崎房の各坪においてはムラそのものがツボと呼ばれる。また蔵持では小保川同様にムラ内を区画する単位にツボが使われるものの、小保川の各ツボのような村組としての独自性はなく、ツボという名称があらわれてくるのは葬儀の際の互助組織においてのみである。
 次に近隣の家々の結びつきであるが、小保川、崎房ではクミアイがそのまま戦中以降の班に受け継がれ(戸数増減により班の増加、合併はあるが基本的にはクミアイ=班)、行政補完的な機関としての性格を持つとともに伝統的な生活互助組織でもある。これに対して、蔵持においては依然として生活互助組織としてのクミアイと、行政補完組織としてのゴケングミとが併存している。さらに蔵持、崎房でみられるような祭り当番も、ムラの中の家々を一定戸数ずつにまとめる、近隣組織であることがわかる。