常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第四編 近現代

第一章 近代への出発

第二節 自由民権運動

明治政府が徴兵制や地租改正などの政策を強行する一方、茨城県下の真壁・那珂郡下をはじめ各地に起った地租改正反対一撥に対する弾圧、西南戦争での武力鎮圧などの強圧政策に対し、国民の間から自分たちの意志表示機関としての国会開設を求める運動が起った。これが明治十年代前半からほぼ二十年前後にかけて、全国的規模での展開をみた自由民権運動である。明治十年(一八七七)民権運動の中心をなした大阪の愛国社が再興されたのを契機に、全国各地に民権政社が設立された。この政社運営の中心的役割を果したのは、多くは各地の府県会議員をはじめとする豪農や豪商たちで、全国的に国会開設を請願する運動が同十三年ごろその頂点に達した。
 茨城県下でも各地に政治結社が設立されたが、その状況は主に県西・県南地区に多く、県北地区は一社だけであった。その政社をあげると次のとおりである。
 
     民権政社と中心人物
  同舟社  豊田郡本宗道村(現千代川村)
   森隆介 野手一郎 飯村丈三郎 赤松新右衛門 内田林八 大久保不二 木内伊之介
  民風社  真壁郡下館町(現下館市)
   富松正安 仙波兵庫 倉持茂三郎 勝田盛一郎 田宮太平
  愛交社  真壁郡久下田村(現八千代町)
   霜勝之助 渡辺豊八郎 増淵徹 柴長左衛門
  喈鳴社  猿島郡岩井町(現岩井市)
   中山三郎 藤田順吉 朝倉達男
  茶話会  猿島郡諸川村(現三和町)
   知久義之助 斎藤万助 小林政介
  改進社  北相馬郡守谷町(現守谷町)
   斎藤斐 小林秀三郎 飯島省三郎
  薫風社  西茨城郡笠間町(現笠間市)
   石井藤右衛門 石井雅太郎 木村信義
  同倫社  新治郡常名村(現土浦市)
   吉島高尚 遠山松吉 岩沢仲通
  公益民会  行方郡潮来町(現潮来町)
   磯山清兵衛 窪谷足穂 石田潤之助
  有隣社  多賀郡折笠村(現日立市)
   野口勝一 大津淳一郎
 
 これらの政社のうち当地方に最も影響力の強かったのは同舟社である。同舟社は明治十三年二月十五・十六日県下各政社に呼びかけて「筑波山の会」を開催した。各政社の代表二一名が参集し、「この会を茨城県連合会と称し、各政社が郡ごとの受持区域を定めて、夜を日に継いで郡村を遊説し、約一か月後の三月二十日その成果を持ちよって再び集ろう」(『束陲民権史』)との決議をして、それ以降四月下旬まで精力的に署名運動を展開していった。
 

Ⅰ-5図 筑波山

 署名運動は渡辺豊八郎、野手一郎(現下妻市)、磯山清兵衛(現潮来町)、遠山松吉(現土浦市)らを中心にすすめられた。国会請願署名者数を郡別にみるとⅠ-2表のとおりである。署名者総数一万一六〇〇余名のうち同舟社がおかれた豊田郡が四九〇〇余と断然多く、全体の四割以上を占めている。次いで岡田郡が二三〇〇余名で、豊田・岡田両郡下で全体の六割をこえている。この両郡の中でもその四~五割を占めるのが水海道地区であったが(『水海道市史』下巻)、この時石下地方の人びとがどの位署名したのか。「国会開設ノ勅許ヲ上願スルノ書」と題する請願書から、当地方に関係ある部分を抄出すると、次のとおりである。
 
  本豊田村、曲田村、館方村、豊田村合四ケ村三百八名総代
                               豊田村平民 小島誠吾
  新石下村、大房村、東野原村、山口村、収納谷村、平内村合六ケ村三百十名総代
                             新石下村平民 鈴木平兵衛
  本石下村百八十名総代
                                同村平民 斎藤半蔵
  原宿村、原村、小保川村、若宮戸村合四ケ村三百六名総代
                              原宿村平民 倉田義一郎
                              新石下村平民 小口伝内
  古間木村、蔵持村、古間木新田、古間木沼新田、伊左衛門新田合六ケ村百八十三名総代
                            古間木村平民 稲葉宇右衛門
                             国生村平民 横関与左衛門
  鴻ノ山村、同新田、中沼新田、五ケ村、馬場村、馬場新田、大沢新田、栗山新田合八ケ村二百十三名総代
                             鴻ノ山村平民 秋葉杢之助
 
 署名にみられる村々は必ずしも現在の石下地方の村々ではなく、若干他の地区が含まれている。豊田郡・岡田郡下に所属する村々のうち、岡田郡下の地区に現町域以外の地区が含まれているが、それはそう大きな数ではない。したがってこれらの村々の署名数を集計すると全体で一五〇五名である。この数はこの請願書の署名者一万一六〇〇余名の約一二・九%にあたり、豊田・岡田両郡署名者七二八八名の約二〇・六%にあたる。つまり当地方の国会開設に対する請願署名者は、全体の一割三分程度、豊田・岡田両郡下の約五分の一を占めていたのであり、自由民権運動にかなりの関心をもつ人びとの存在がわかる。
 
Ⅰ-2表 明治13年の国会請願署名者数
署 名
総 数
総 代
人 数
内  訳署名の
あった
町村数
士 族平 民
豊 田4 9585515475
岡 田2 330434341
真 壁1 986252548
筑 波2 038552
新 治
信 太
行 方213145913623
結 城747422528
鹿 島505034718
西茨城153212
猿 島1111
11,66540142359218
相沢一正「森隆介研究ノート下」(『茨城県史研究』第10号)