常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第八章 幕末の石下

第三節 戊辰戦争と庶民の立場

六月に入っても人馬の徴発はやまず、六日には日光街道の古河宿より助郷差村をされた。助郷差村とは、助郷の休役や増助郷を願い出たりする時に、ある村々を新たに助郷に指定するように名差しして願い出るが、その名差しされた村のことをいう。差村された村にとっては、迷惑千万な話しである。
 つづいて七月二十五日には、結城役所の名で村高一〇〇石につき一人割当てで、奥州白河口詰の軍夫助郷が申し付けられた。白河口は会津若松城への入口にあたり、八月二十四日の総攻撃に備えて兵力を集めていた。
 石下の村々は、宿の人馬継立、古河宿への助郷、白河口への軍夫助郷という三重の負担を一時に負わされることとなる。農作業といえば人馬にすべてを頼る時代に、農繁期の最中壮健なる人馬が村から徴発されてしまうことは、彼らの生活にとって多大な損失をまねくことは明らかである。またこの年は、初夏以来の大雨続きで田畑の冠水がひどく、四〇町歩にわたって植付けができず、水腐れもでるなどまれにみる凶年でもあった。
 三重、四重の生活苦にたまりかねた人々は、再三にわたり関係筋に古河宿と白河口軍夫の助郷免除願いをくりかえしたが、若干の軽減にとどまった。六月中より古河宿と白河口への助郷人足は、それぞれ一五人ずつ合計三〇人をだしている。白河軍夫をだすに際しての関係村々二五か村の議定書には次のように記されている。
 
  一 正人足一人に付き金一分、往返入用一朱渡す事。但し一人前玄米五合、銭三百文を賄料とする。
  一 組合村々人足四十人に宰領二人、付添い出張・往返賄いその外の入用は当分人足一人に金二分宛。
  一 白河宿往返八日、中二十日勤め、都合二十八日分の人足小遣いは其村限り渡す。
  一 軍夫宰領が怪我した場合には、村々相談の上相当の手当てをする。万一死亡した場合には、当人の村
    方が難渋しないように誠意をしめす。すべてそうした臨時入用は組合高割をもって差しだす。
  一 白河表出張人足は、万端宰領の指図をうけて、わがまましないように村役人からよく申し渡すこと。
    人足が宰領の命令に背き、間違いをおこした時には、その村が入用一切を持ちきる事(新井清家文書)。