常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第八章 幕末の石下

第二節 世相の動揺

それでは、どうして彼らは「義挙」にでたのか。その理由を檄文からみてみたい。尊王攘夷の大義は、徳川家の大典であるにもかかわらず、開国以来「夷狄の害」が蔓延し、内憂外患が日増に切迫している。この「神州の汚辱危急」のなかで、ただおめおめと傍観坐視することは忍びがたく、「一死を以て国家を裨被し鴻恩の万分に報じ」る覚悟である。そして熟慮の結果、必死の病を治すためには、尋常な薬で治るものではなく、非常な手段をなさなければ非常の功をたてることはできない。上は天皇の宸襟を慰め、下は幕府の英断(攘夷の決行)を助け、従来の大汚辱(開国)を一掃するために、この非常手段にでたのだ(横瀬夜雨『天狗騒ぎ』)。
 まさに、天皇を尊崇し徳川を輔翼する水戸学の面目躍如といった檄文である。しかし、西南雄藩が開国和親・尊王討幕へと転換しはじめるこの時期、彼らの檄文のなかに全く討幕の一片句もない点は看過できない。これまで時代の先頭を走ってきた水戸藩尊攘派だが、ここに至って、時代の潮流からの逸脱と迷走とを始める。