常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第八章 幕末の石下

第二節 世相の動揺

彼らがここに挙兵した理由をたどれば、積年の水戸藩内紛にふれざるえない。八代水戸藩主斉脩は嗣子がなく、重臣層は幕府からの財政援助と保身をめざして、一一代将軍家斉の第二〇子で清水家をついだ恒之丞を迎えることをもくろんだ。これに対して、会沢正志斎、藤田東湖ら学者、中下士層の人々は、頼房以来の正統な血筋をひく景三郎(斉脩の弟)を擁立した。景三郎、すなわち斉昭の藩主決定後も、擁立派の人々は積極的に協力しあい、同志的結合を強めていって、藩内の保守門閥重臣層との対立を深めていった。
 彼らは斉昭とともに、天保の藩政改革をおこなったために改革派とよばれ、のちには改革派を天狗党、保守門閥派を諸生派と称するようになった。天狗とは、人とは思えぬ義勇の行為をする正義の人という意味で自称し、反対派からは成上り者が天狗となったという意味で使われた。なお、諸(書)生派とは弘道館書生からきている。