常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第八章 幕末の石下

第一節 黒船の来航とその影響

近代的兵器を装備した巨船を前にして、なす術をもたぬ幕府をはじめ民衆は、神仏の加護にのぞみを託す以外になく、全国各地の神社仏閣では「怨敵調伏異国退散」の祈禱がさかんにおこなわれた。六月十五日には石下でも、大宝八幡社に護摩料五〇〇文を納めて祈禱をし、この年の祇園祭は中止している。
 ましてや、江戸市中での人々の浮き足立ちぶりは相当のものであった。当時の市中の触書には、武士団が騒がしいのは異国船渡来の備えのためで他意はない。今後武家はなにかと入用が見込まれるので、物価、銭相場を引き下げるように努めよ。町衆の者どもはむやみに騒ぎたてるようなことがないよう心掛けよ、と戒めている(新井清家文書)。
 同様の内容の触書は、関東取締出役を通じて近在の村々へも達せられた。不穏に乗じて悪党どもの立廻りが予想されるので、村々は取締りを厳重にせよ。米価の急騰を見込んで買締め、囲持ちするものがあるが、一層の社会不安招致のもとであるから、早急に売り払うようにと指導している(秋葉いゑ子家文書)。
 一方、「泰平の眠り」からさまされた武士達は、競って武具の修覆、調達に駆けめぐり、二〇〇余年間も使われずに埃のかぶっていた刀剣、甲胄の類は高値をつけた。本石下村の知行旗本興津健之助も、例にもれず嘉永七年「武器取繕其外入用」として村に一〇両の上納を命じている。さらに前年になるが、健之助は「異国船渡来に付御入用金」として高一〇〇石に付き二両ずつ知行村々より調達している。また、ペリー来航に際して、本石下、館方、若宮戸の三か村より人足宰領七人の徴発があり、つづいて翌年正月にも、本石下村は蓑笠持参の若い人足一〇人の徴発に応じている(新井清家文書)。
 ペリー来航の影響は、単に為政者だけの問題や不安助長の風聞の域にとどまらず、社会各層の人々の生活そのものをゆるがすこととなった。