常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第六章 庶民文化

第一節 文化の地方普及

なだいなだは「漢詩はインテリの間だけの文芸であった」(「江戸狂歌」岩波書店刊)といい、富村登も「絹江詩史」の中で、歌俳とちがい「一層学と識とを必要とした漢詩漢文」と言っているが、幕末における漢詩集「飯沼観蓮集」や「中秋絹江詩集」等における顔ぶれをみると、それぞれ経済的余裕があり、江戸に遊学するか、地方在住の有力な漢学者達について学を修めた人達か僧侶達である。
 

Ⅵ-5図『飯沼観蓮集』(秋葉格氏蔵)

  飯沼観蓮集
 嘉永五年(一八五二)六月、明善堂から、「飯沼観蓮集」第一集が刊行された。秋葉(格)家所蔵の同集によりその概略を摘記してみよう。編集者は、秋葉誠(格非)、木村謙(枕流)、古矢継志(愿斉)、秋葉孝(竹堂)の四氏である。秋葉誠は秋葉格氏の祖、秋葉孝は、馬場の秋葉家の祖、木村謙は猿島郡沓掛の人で、秋葉格非が二〇余年従学した木村明堂の養子、古矢継志は弓馬田の人である。序文は、木村明堂の師である江戸の中井乾斉が書いており、福田半香が絵二葉を寄せている。「飯沼」を囲繞する各村の三一名の漢詩人達による観蓮の漢詩集である。この集には当地の人として前記格非、竹堂の外崎房の秋葉敏(省軒)、鴻野山の野口震(卵毛)、秋葉雪窓の孫秋葉伝(花塘)、その他二、三の同好の士の作品が掲載されている。
次に二、三篇抄出してみよう。
 
       格非   秋葉 誠
    朶々芙渠(ふきょ)一様新
    百花之裏絶其倫
    波心浄植真君子
    独守幽貞不媚春
 
       竹堂    秋葉 孝
    湖面鮮明白間紅
    水天一色渺無窮
    夕陽縦做許多熱
    不倒堆々雲錦中
 
       省軒   秋葉 敏
    錦繡如敷湖上蓮
    清容偏勝貴妃妍
    放眸都是堪催興
    騒客詠吟知幾篇
 
 「飯沼観蓮集」は第二集として、翌嘉永六年ほとんど同じ顔ぶれで出ている。
 
  中秋絹江詩集
 富村登は「常総の漢詩人」の中で、幕末における北総地方の漢詩壇に三つの集団があったことを述べている。一つは、水海道豊岡の名刹弘経寺の住職梅癡を中心とする老成詩人集団、一つは水海道在住の備後生れの五弓久文を中心とする青年学徒の集団、もう一つは石下興正寺の釈一程を中心とする、秋葉格非、秋葉竹堂、吉原竹林等石下勢に、三坂新田の猪瀬愛竹等を加えた壮年文士の集団であるという。
 「常総文化史年表」(富村登著)には、嘉永六年(一八五三)三月一五日に同人等で興正寺において詩会を催したことを記しているが、同年中秋には、明月の夜鬼怒川に舟をうかべて詩作し、その吟詠の詩を集録して「中秋絹江詩集」を編んだ。その二、三を次に採録してみよう。
 
       竹林      吉原 有
    雲晴一段月光悠  江上吟詩任去留
    半夜誰家糸管起  繁声吹送到扁舟
 
               釈 一程
    満天明鏡映江流  賞月吟詩敢不休
    波面動揺光景好  金竜恰似水中留
 
       格非      秋葉 誠
    絹水提頭待客頻  暫酔瓢酒慰吟身
    無情舟子呼不到  月促清遊佇立人
 
 格非の詩は、「観蓮集」の詩にしろ「絹江詩集」の詩にしろ題材が極めてユニークで着想が奇である。