常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第五章 庶民の生活

第二節 稲作と畑作

粟も稗も昔から五穀に数えあげられ、農民の自給的食糧として栽培されていた。とくに近世期には稗を救荒食糧として村の郷蔵に備蓄して飢饉に備えていた。後の史料であるが明治二年(一八六九)の本石下村の「村方明細帳」によると「粟稗蒔き付け五月中旬 八月中下旬取り入れ」たとあるように、米麦に比べて成育成熟が短い作物であった。播種量について見ると本石下の場合反当たり「稗粟一升」、孫兵衛新田では「粟 壱反歩に付三合 稗壱反に付八合」蒔きとなっており、その作柄は「畑方夏作稗粟など少々つつ作り申し候え共、砂地ゆえ出来方悪しき御座候(傍点筆者)」(前掲「村鑑指出帳」)という様であった。
 まず粟の栽培と収穫について簡単に触れておくことにする。粟の品種は「覚帳」に餅粟・うるち粟・三尺粟の三種類が見い出せる。その播種を粟蒔きといい、五月初めから中旬にかけて行なわれた。麦の畝間に細かくした厩肥・人糞尿のタメ・灰とを粟種と混ぜ合わせて手でつかみホシマキ(点播)をしたようである。半月位ごとに「粟片切り」を三回、最後を「留切り」という。その間「粟抜き」といって成長の遅れている苗や密集しているところを間引きしたり、人糞尿のタメや搾粕などの肥料を施したりした。八月中旬に「粟切り」といって稔った粟の穂を包丁や鎌で切りとり、フルウチボウで叩き落として脱穀した。この作業を「粟打ち」といった。
 稗も粟と殆ど同じような栽培収穫法であるが、稗栽培の過程を具体的に知るために「覚帳」から天保十・十一年の二年間の稗に関する記録を抜きだして別表(Ⅴ-3表)にしてみた。
 
Ⅴ-3表 稗作りの記録
天保10年の稗作天保11年の稗作
5月 2日稗蒔き
5月22日稗抜き5月16日稗蒔き
5月30日稗ため出し
6月 1日稗ためと耕
6月13日稗こやし耕6月12日稗片切り
6月14日稗こやし耕
6月15日稗こやし耕
6月19日稗抜き
6月29日稗抜き
7月 6日稗留切り
8月 5日稗切り
天保8年の場合は,8月16日稗切り 8月18日稗切り


 
 この史料では、種蒔きと間引き(稗抜き)、施肥(ため出し)、中耕(片切り)、収穫(稗切り)の仕事名と日付けしか記されていないので、作業内容や脱穀調整の過程について不明であるが、粟作とほぼ同様である。なお、「覚帳」の天保十二年の六月二十六日の項に「稗苗植え」という記事があるのを見ると、移植法も行なわれていたようである。