常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第五章 庶民の生活

第二節 稲作と畑作

稲作には水稲と畑の陸稲(オカボ)の栽培があったが、収穫量からみると水稲栽培が多く、陸稲は比較的少なかったようである。一般に品種は粳米と糯米に大きく分かれ、さらに作付け収穫期を異にする早稲・中稲・晩稲の品種区分があった。当町でも「覚帳」を見ると、早稲種では黒わせ・赤わせ・太郎兵衛餅・いのこ餅等、晩稲種ではこぼれ・伊勢縁・鳶打・たまり等の品種が栽培されていた。この他にも「びぜん(備前)、まごべい、かんはら、築梁、ざんぎ、いせ(伊勢)、えと」といった品種も作付けされており(享保十五年 孫兵衛新田「村鑑指出帳」)、かなり多様な品種が作付けされていたことがわかる。これは当時風水害や干ばつが多発していたので、特定の品種よりも多品種を時期をずらして作ることにより、その減収を最小限にとどめようとしたものと思われる。さらに田植えや稲刈りに労働力が集中しないように配慮していたと考えられる。この他に北国・大黒・美濃といった代表的品種も、元禄期の頃に結城・真壁地方で作付けされていたことから石下地方でも、これらの品種が栽培されていたことが推測される。次に米作りがどのような過程で行なわれていたかをみてみよう。