常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第四章 産業と流通の発達

第二節 鬼怒川通りと飯沼廻り

「飯沼廻り」のにぎわいは、そのほかいくつかの史料からも読みとれる。天保九年(一八三八)の「下総国猿島郡結城郡岡田郡沓掛村崎房村外五拾弐ケ村組合諸商渡世向取調書上帳」の孫兵衛新田村には、「五街道脇往還人足立場ニハ無御座候得とも近道ニ付、江戸往来人休泊并諸荷物津出し河岸場ニ御座候」(傍点引用者)と記されている。また、安政二年の「総州崎房沓掛組合村々地頭性名其外書上帳」をみると、「飯沼廻り」には一一か所の河岸と二三軒の茶屋(旅籠屋・商人宿)を数えている。そのうち孫兵衛新田には、河岸一か所と千歳屋忠兵衛・直七・仁兵衛がそれぞれ営む三軒の茶屋があり、左平太新田・鴻野山新田にもそれぞれ一か所ずつの河岸があることを記している(『飯沼新田史料』)。
 

Ⅳ-9図 飯沼川の水運

 孫兵衛新田を中心とした新田の活況は、川名登氏が作成されたⅣ-3表からも一層鮮明によみとれる。各村ごとの家数と農間商い・諸職人数の百分比をみていくと、孫兵衛新田四四%・左平太新田二三%・鴻野山新田四四%・古間木新田三六%など、「飯沼廻り」五一か村中でも比率の高さが眼をひく。
 
Ⅳ-3表 猿島・結城・岡田郡51か村農間渡世書上
村   名江戸への
距離
家 数農間商い

諸職人
前項の
比率
村  名江戸への
距離
家 数農間商い

諸職人
前項の
比率
 
恩 名

16

115

18
%
16
 
伊左衛門新田

14

29

5
%
17
恩名新田166五郎兵衛新田1333618
尾崎新田160笹塚新田23313
平 塚169799庄右衛門新田13501326
平塚新田168113猫 実1275811
佐兵衛新田161猫実新田1319211
芦ヶ谷167579神田山121371612
芦ヶ谷新田1618211神田山新田1233515
逆谷新田161幸 田1263711
崎 房16821620幸田新田12341029
孫兵衛新田16321444勘助新田1324313
大間木181119大浜新田1325728
尾 崎1615533平八新田133339
左平太新田1626623馬 立12661117
栗 山1621733馬立新田1218211
馬 場164936弓 田121241411
馬場新田168225弓田新田127114
栗山新田1622314沓掛・新田共132584919
鴻野山16481838沓掛内野山新田13881011
鴻野山新田1616744山村・新田共14861214
古間木1661711生 子131521913
古間木沼新田1610220生子新田1326415
古間木村新田16331236逆 井161942613
大生郷14951415長左衛門新田162528
大生郷天神領14362056東山田・新田共161912714
大生郷新田16821923278145816.4
太字は石下地内.川名登著「河岸に生きる人びと」


 
 ただし、川名氏の「農間商い・諸職人」の数は、「無益の手数を掛結構にいたし候」の菓子・料理類商いなどのぜいたく品商売に限られているから、青物・魚・豆腐・薪商売など生活必需品商売を加えると、当然「農間商い・諸職人」の数はふえる。
 ためしにその数を加えて、孫兵衛新田の職種を列記してみる。居酒屋煮売渡世二軒・煮売渡世二軒・穀商売一軒・小間物商売一軒・小間物振売二軒・古着仕立物商売一軒・菓子打卸二軒・蒸菓子干菓子商売三軒の計一四軒に、魚青物商売一軒・豆腐油揚商売一軒・鳥魚商売二軒・材木薪商売一軒の合計二〇軒(ただし延べ軒数)の店が軒をならべていた(『飯沼新田史料』)。また文政十年(一八二七)の「孫兵衛新田諸職人家数名面之覚」では、職人数一二人を数えているが、その内訳は大工・綿打・桶屋・杣などと並んで船大工一人・船乗三人を記している(秋葉光夫家文書)。
 享保期の飯沼新田開発が、「飯沼廻り」の社会・経済・交通を一変させた様子は以上みてきたとおりである。さらに巨視的にみるならば、「飯沼廻り」に起きた社会変革は、関東一円規模に拡大してみることができる。化政期から天保期(一八〇〇~一八五〇)にかけて、各村内に農間諸商人・職人が大量に出現してきており、このことは地方ごとに地域市場が成立したことを意味する。つまり、江戸を中心とする特権的宿駅問屋層の縦の水陸交通網に対して、地域的市場の発展による築越・新道・新河岸などの横の交通網が顕著に発達してきた。そして、「飯沼廻り」でこの新潮流の推進役として活躍したのは、新田村を中心とするエネルギーあふれる農民・商人・職人の人達であった。