常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第四章 産業と流通の発達

第二節 鬼怒川通りと飯沼廻り

石下を地図の上から鳥瞰すると、西方に日光、奥州街道、東方に水戸街道がはしり、現在の町域を二分して鬼怒川が北から南へ流れ、東端を小貝川が北南に流れ、西端には飯沼新田がひろがり、その中央部を飯沼中悪水堀(飯沼川・中堀)が北南に流れ、これら三河川はそれぞれに利根川に落ちている。
 近世期の交通という観点からみると、石下は大きく二つの地域に区分できる。一つは「鬼怒川通り」とよばれる地域で、鬼怒川東西両岸と小貝川西岸にはさまれた、現在の玉、豊田、石下、岡田地区にのびる交通網である。もう一つは「飯沼廻り」とよばれる地域で、現在の飯沼地区から北は八千代、南は水海道、対岸の三和・猿島・岩井へと、飯沼新田をとりかこむようにひろがる交通網である。
 近世期の交通は、五街道、脇街道に代表される陸上交通路と、大量物資輸送の必要から海と河川の水上交通路が発達していたことはよく知られている。そうした観点からみた場合、「鬼怒川通り」とは、日光、奥州街道と水戸街道とにはさまれて発達した脇往還と、利根川へとつながる鬼怒川水運の総称である。また「飯沼廻り」とは、飯沼新田開発のなかから派生してきた新田周辺村々を結ぶ往還と、利根川へとつながる飯沼川水運の総称である。両者の共通点は、南は江戸浅草を起点とし、途中のルートこそわかれるが、結城城下を抜けて、宇都宮から奥州へと通じる陸上・水上交通路網なのである。