常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第三編 近世

第二章 領主と村のしくみ

第二節 支配のしくみと年貢

宗門改めは幕府によるキリスト教禁止政策の手段として実施されたもので、寛永期以降各地で「宗門改帳」が作成された。寛文五年(一六六五)になると、幕府の天領だけでなく各藩にも宗門改帳の作成が命じられ、同十一年には、この年以降、毎年の作成を命じている。
 その記載をみると、文化五年(一八〇八)三月の「小保川村宗門御改帳」(浅野茂富家文書)では、
 
          真言宗鎌庭村勝善院旦那 印
                      小右衛門 年三十七歳
  同寺 印             妻 のぶ    年三十三歳
  同寺 印             父 茂右衛門  年六十三歳
  同寺 印             母 くめ    年五十八歳
                   次男安右衛門事
  同寺 印     茂重  年三十歳
  同寺 印     のい   年七歳
  同寺 印     ほの   年四歳
  同寺 印     茂三郎  当歳
  合八人[男四人女四人] 外馬壱疋栗毛年十歳
 
 このように、村の構成員全員にわたって家族ごとに全員の名前、年齢、続柄、所持する家畜、場合によっては持高を記し、最後に寺院がそれぞれの百姓を、自分の寺の檀家であることを個人ごとに証明し、切支丹でないことを保証した。また、宗門改帳によって村の人別がすべて明らかになるので、村の戸籍簿の役割も果たしていた。普通、宗門改帳は村役人が作成、保管し、原則として毎年三月中に作成して領主へ提出するものであるが、かならずしも毎年作成されたわけではなかった。
 この宗門改帳は小保川村の旗本蜷川氏と井関氏の二人の領主のうち、井関祐悦知行分のみの帳面である。旗本知行地の場合には、それぞれの知行地別に宗門帳は作成されたことも一つの特徴といえる。
 

Ⅱ-7図 「小保川村宗門改帳」(浅野茂富氏蔵)

 小保川村の百姓を檀家としていたのは真言宗勝善院、浄土真宗東弘寺、同宗光明寺、時宗常光寺であった。こうして小保川村の百姓は寺請制度によって寺院と結びつけられたのである。