常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第二編 中世

第五章 中世のくらしと文化

第二節 寺社と信仰

向石下の香取神社は鬼怒川のほとりにあるが、その境内の後方には人丸明神が祀られている。両社の関係をみると、人丸明神の方が歴史は古いようである。人丸明神は、いうまでもなく、万葉歌人の柿本人麿を祭る社であるが、その歴史を語る史料というものは同社には現存しない。そこで伝承によれば、人丸明神は天喜三年(一〇五五)の創祀とされるが、それ以降の歴史も不明である。そして戦国期の天文五年(一五三六)に社殿が炎上し、天正元年(一五七三)に再興を計画したが、神祇官からは、下総国の一の宮である香取神宮から祭神を勧請(招き迎えること)しての再興ならば許可する旨が伝えられたという。しかし、この当時、このような村の神社の再建について神祇官にまで許可を求めたとは考えられないし、神祇官が一村落の神社の祭神にまで意見を述べるほど統制力があったとは考えられないことである。いずれにしても、江戸期なかばの正徳四年(一七一四)に香取神社として本殿を再興し、人丸明神は同社の後方に祭られて今日に至ったという(新井省三編『趣味の結城郡風土記』)。なお、別の伝承では、当社ははじめから香取神社として平良持・将門によって建立され、豊田氏の祖石毛太郎広幹によって再興されたが、人丸という小字にあったところから人丸明神と呼称されていた。しかし、天文五年の火災後に香取神社と社名を復し、正徳四年に社殿を再興して現在に至ったというのである。平将門と石毛太郎広幹の名が盛り込まれた社伝であるが、これでは、香取社の後方に人丸明神が祭られていることに対する説明ができないことになる。
 

Ⅴ-27図 香取神社