常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第二編 中世

第五章 中世のくらしと文化

第二節 寺社と信仰

現在は廃庵となっているが、孫兵衛新田に最勝山般若庵という曹洞宗の小寺院が存在した。同庵は天明五年(一六八二)に本末帳に正式に記載されるよう運動を行なっている(飯村芳雄家蔵「般若庵却雲訴状」)。その訴状に由来が記述されているが、それによれば、本尊である十一面観音像は行基の作であるという伝承を持っていたらしい。水帳にも記載されており、寛永年間(一六二四~一六四四)ごろからは小堂が存在したらしいが、江戸中期の享保年中(一七一六~一七三六)孫兵衛が新田を開発すると、その新田の五穀豊穣を祈るために同庵と稲荷社を建立し、大般若経六〇〇巻を納入し、大泉寺(現東京都町田市)二一世の全国長老を開山に迎えたというのである。全国は同庵を隠居地として入寺してきた。
 そして、同庵は大泉寺の末寺ということになったが、その後の延享年間(一七四四~一七四八)に成立した曹洞宗の本末帳にも記載されず、天明五年には本末帳に記載されるように運動を行なっているのである。しかし、明治初期の廃仏毀釈運動の中で廃庵となっているのである。