常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第二編 中世

第三章 関東公方の北総支配と豊田氏

第三節 「御水帳」と郷・村

千代川村本宗道の宗任神社に「御水帳」と通称される一冊の古帳簿が存する。水帳とは通常では江戸時代の検地帳を指すが、この「御水帳」は検地帳ではない。しかも体裁上からも内容的にも一冊の完備した帳簿ではなく、複数の底本からの写本であり、末尾の意味不可解の文言などはこの帳簿仕立ての小冊紙の史料としての価値を疑問視することにもなる程のものである。加えて、散見する「けんりやく三年きのとのい拾月七日」「けんりやく三年きのとのい六月十七日」「かきつ拾壱年きのへね二月半十八日」などの年紀は元暦・建暦・嘉吉などの年次を想起させるものの、内容上、とても当時の帳簿の写しとはいえない(『北下総地方史』『水海道市史』はこの年紀を是認して内容的には当時の年貢台帳であると説いているが容認できない)。
 

Ⅲ-9図 「御水帳」表紙(千代川村 宗任神社蔵)

 『常総遺文』(土浦藩の国学者色川三中編)第四巻(東京静嘉堂文庫蔵)に写された当水帳の奥書(現在は散佚)から、この帳簿仕立ての冊紙が元禄十三年(一七〇〇)に書写されたものであることが判明する。
 内容を端的に示すであろう表紙の題は、三中写本をも考慮すると左のようである。
 

(図)

 すなわち、幸嶋・豊田二郡内計四五郷に関する「惣高」(これでは内容と合わず意味不明)を記載した帳簿であるという。しかしこの表紙は、本紙と紙形・紙種合わず、後補の可能性が強い。このように点検すると、やはりこの「御水帳」なる帳簿の利用は極力避けたくなるのであるが、本文中にみえる郷・村の記事は捨て難く、多様な視座をもちながら、かつての叙述の意図をできる限り生かしながら底本の実態に迫ってみよう(『八千代町史』では現段階での一応の所見を詳述している。本町史での紹介にもこの成果を全面的に取り込むことにする)。