常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第一編 原始・古代

第四章 古墳時代

第二節 古墳時代のくらしと文化

石下地方が大和朝廷の支配下に入ったのは何時の頃か定かではないが、少なくとも古墳内部から発見される遺物や、住居跡から発見される土器類から、畿内文化の影響を認めない訳にはいかない。特に古墳そのものの築造にも影響が認められると考えるならば、四世紀末ないしは五世紀と考えるべきであろうか。
 町内の古墳のうち、最大の規模を持つものは神子埋古墳群であり、特に前方後円墳が四基存在したことは、少くとも或る時期に、この神子埋古墳群付近が政治的中心をなしたことを示しているといえよう。
 その時期は第六四号古墳(熊野神社)や第六五号古墳(弁天塚古墳)、第七三号古墳(六所塚古墳)の造られた時期である。
 県内に存在する大型の前方後円墳のうち六〇メートルを越えるものは五五基存在する。
 六所塚古墳は七〇メートル前後で、決して最大級ではないが、有力豪族の墓にふさわしい内容を持った古墳といえる。前方後円墳の周囲に営まれた古墳と考え合せる時、この付近に五世紀頃の繁栄を考えることが出来る。
 その為政者は不明ではあるが、のちの郡司クラスの人であったと考えられる。
 七世紀の半ば大化改新の詔が発せられると石下地方も又、その中に組み入れられていったことは他の地域と同様である。