常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第一編 原始・古代

第四章 古墳時代

第一節 石下の古墳

これらの古墳群のうち、最も大規模な古墳群は、大字篠山字神子女に存在する神子埋(みこのめ)古墳群である。この神子埋古墳群は六十六塚といわれ、嘗ては八五基の古墳が存在したといわれている。現在はほぼ半数の古噴が存在するにすぎず、墳丘を残すものは二十数基で、この他に石棺だけが残されているものが同数ある。
 

Ⅳ-1図 六所塚古墳(神子埋第73号墳)実測図
(古墳番号は関井修「神子埋古墳群考察」による)


Ⅳ-2図 弁天塚古墳全景


Ⅳ-3図 神子埋第28号墳全景

 前方後円墳は四基あったことが伝えられているが、現在では六所塚古墳(第七三号墳)が現存するだけで、権現塚古墳、第六四号墳などは湮滅している。他に円墳である弁天塚古墳(第六五号墳)がある。この弁天塚は径三一・〇メートル、高さ二・六メートルである。六所塚古墳は平将門を祀ったともいわれるが勿論これは後世の付会である。墳丘測量の結果は全長七〇・〇メートル、後円部の径四五・〇メートル、高さ七・〇メートル、前方部の幅三五・〇メートル、高さ三・五メートルであることが明らかになった。この古墳も後円部と周溝の一部に開発の手が伸び、すでに削土されている。学術調査によって発掘された古墳は第二八号古墳だけであるが、その他に比較的内容のわかる古墳に第二七号古墳、第三七-一号古墳と第五七号古墳がある。
 第二八号古墳は、神子埋古墳群のほぼ中央北寄り、第三群中にあり、付近に四~五基の円墳が隣接して営まれている。いずれも杉林の中にある。
 第二八号古墳の発掘前の大きさは、直径十三メートル、高さ〇・七メートルで、三~四〇年前の開墾によって著しく削され僅かになだらかな墳形を止めていたにすぎない。発掘調査の結果、墳丘の大きさは直径一三メートル、高さ一・二メートル、四周に幅三メートルの堀を繞らしていることが判明した。
 発掘調査前の状態がこのようなことから、墳丘上の施設は全く不明であるが、発掘中封土内からハニワ円筒の基部も発見され、そのたてられた位置は明らかでないが、墳丘上にハニワ円筒をめぐらしたことが確認された。ハニワの破片は堀に墳丘裾の連なる直上に多く発見されている。
 

IV-4図 神子埋第28号墳実測図

 埋葬主体は現存墳丘の表面に存在した。
 付近の古墳が殆んど墳丘下に石棺を内部主体としてもっているところから、この古墳も同様と考え、発掘調査したところ、地表下十センチメートル付近で鉄鏃(ぞく)が一括して発見された。埋葬主体は墳丘最上部に露出していた黄褐色土層が粘土槨を構成していたのである。
 この粘土層は長さ二・〇メートル、幅一・五メートル、深さ〇・一五メートルであったから、ほぼ粘土槨の全貌を知ることができた。鉄鏃、ハニワ円筒の他に遺物は発見されなかった。六世紀後半頃に営まれた古墳と考えられる。
 第二七号古墳は第二八号古墳のすぐ南西側に隣接している古墳で、直径一三・〇メートル、高さ〇・七メートル前後の有段式の円墳で、昭和二十七~八年頃、墳丘の南西側に長さ二・五メートル、幅〇・七メートルの石棺が発見され、その内部から、男子人骨一体と直刀一振、鉄鏃二~三〇本が一括発見されたという。また、円墳の四周に一メートル間隔でハニワ円筒がめぐらされている他、人物ハニワ二体が石棺前から発見されている。
 

IV-5図 神子埋第28号墳出土鉄鏃

 第三七-一号古墳からも人骨二体の他、直刀三振、鉄鍔(つば)二個、刀子(とうす)二口、小玉三〇個、鉄鏃約三〇本等が発見されている。この古墳は円墳で、昭和二十六年に発掘されたという。埋葬主体部は箱式石棺である。
 第二八号古墳の南、権現塚古墳の北西に第五七号古墳がある。昭和四年に発見され箱式石棺の中から人骨七体のほか、直刀三振、勾玉(まがたま)一三個、釘状鉄器二本等が発見されたといわれる。埋葬施設は箱式石棺で幅約一・〇メートル、長さ二・八メートル、高さ一・二メートルで底部は土を搗き固めている。なお石室北壁に近く枕石が置かれてあったという。
 

Ⅳ-6図 神子埋古墳群出土箱式石棺


Ⅳ-7図 神子埋第57号墳出土箱式石棺


Ⅳ-8図 神子埋古墳群出土形象埴輪(八王子市郷土博物館蔵)

 神子埋古墳群内の古墳のうち、内部主体として石棺のあった古墳は二一基であるが、石棺は組合式箱式石棺が多く、中には竪穴式石室に近いもの、横穴式石室に近いものも若干ではあるが発見されている。石材は付近からは産出しないので遠く利根川上流から搬入したものと思われる。石質は絹雲母片岩である。
 

Ⅳ-9図 古墳時代遺跡の分布図

 権現塚古墳の南、町営墓地内に残る第五七号古墳は横穴式石室を持つ古墳で、その両側山林内の古墳は竪穴式石室を露出させている。町内の古墳のうち、石室の判明した古墳の大半は箱式石棺で、横穴式石室、竪穴式石室をもつものは各一例にすぎず、粘土槨も四例のみである。石棺が箱式石棺とするのは、付近から石材が産出しないことと、移入するにあたって板石は持運びに便利なため箱式石棺が用いられたのであろうと考える。
 次に古墳群のうち、ハニワを繞らした古墳が約二二基あり、その中には鷹匠と思われるもの、頭に壺を載せた婦人像、矢をうけて傷ついた猪、馬、猿等の形象ハニワが見られる他、ハトと報告されているものも二~三例ある。
 古墳からの出土遺物は極めて少ないが、特筆されるものとして、第五三号古墳から翡翠(ひすい)の勾玉が多数発見されたことであろう。ハニワ円筒は概して小型で、県内では鹿島灘沿岸の古墳のものに類似するものが多い。