常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第一編 原始・古代

第三章 弥生時代

第二節 弥生時代の生活

この遺跡は、岡田字馬場堤下に位置している。西側に鬼怒川から入り込む支谷を望む、標高二四メートルほどの台地西縁部付近から遺物が出土している。出土状況等は明らかでないが、壺形土器二個体分で、他の土器片は含まれていない。一つは、頸部で意識的に切断されたとみられ口縁部を欠くものの、胴部最大径が胴下半にある器形で、文様は頸部にヘラ状工具による斜格子文を有し、それより下位は全面に付加条縄文が施されている(Ⅲ-6図)。他は頸部から胴部にかけての大破片で、文様は頸部に平行沈線文がみられ、肩部に無文帯を有し、胴部には付加条縄文が施されている。土器の特徴から後期終末期に編年されるものとみられる。また、土器の状況から、大宮町富士山遺跡などにみられるような合口壺棺墓であった可能性が考えられる。このような土器棺墓は、県内弥生時代後期の墓制として、近年明らかになってきた。
 

Ⅲ-6図 馬場堤下遺跡出土弥生土器


Ⅲ-7図 弥生時代の竪穴住居跡
(龍ケ崎市屋代B遺跡,『茨城県教育財団文化財調査報告』第33集より)