常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第一編 原始・古代

第二章 縄文時代

第五節 縄文遺跡の移り加わり

この遺跡は、石下町大字崎房に所在する。縄文時代後期から晩期のもので、飯沼川沖積低地を西側に臨む台地上に位置する。遺跡周辺が耕地整理によって旧地表から一メートル程も削平されているため、昭和六十一年に行なった調査では、遺跡の範囲、性格などを確認することはできなかった。しかし、墓地付近のみが唯一旧地形を残しているので、そこからなんとか当時をしのぶことができる。
 この場所からは、かなり多量の縄文土器片が検出されており、その分布も濃密である。時期的には、縄文時代後期(安行1から2式)の土器片が主体と思われるが、『茨城県史料考古資料編 先土器・縄文時代』によれば、加曾利E式から大洞BC式までの遺跡とされている。これはおそらく、耕地整理以前は縄文時代中期から晩期にわたる複合遺跡が存在していたのであろうが、その後の破壊で縄文時代後期が主体と思われる墓地周辺のみしか残っていないためであろう。
 なお、飯沼低地をはさんだ対岸三キロメートルの地点には、猿島町山村の香取裏遺跡が存在している。この遺跡も、縄文時代中期末から晩期初頭のものである。近距離にあり、時期的にも重複することから。本遺跡に住んだ人々と関連があったかもしれない。
 

Ⅱ-27図 崎房香取塚遺跡全景(昭和62年)