常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第一編 原始・古代

第二章 縄文時代

第五節 縄文遺跡の移り加わり

鴻野山貝塚は、町内大字鴻野山の大坂、郷ノ上に点在する地点貝塚の総称である。昭和六十一年の調査で、九地点の貝塚が確認されているが、このうち第Ⅰ貝塚は昭和六十年に発掘調査が終了している。現状では、貝殻が地表に露出しているものと否とがあるが、ボーリングステッキによる探査では、いずれも直径一から二メートル、厚さ一五から三〇センチメートル程の小貝塚である。なお、水生寺境内に存在する第Ⅸ貝塚のみ三〇センチ以上の良好な貝層を有するが、ほとんどが建築物の下になってしまい正確な規模はつかめない。また、周辺一帯は、県道の整備や整地作業などにより、かなりの貝塚が破壊されたようで、鴻野山貝塚の全貌を知ることは今となっては不可能である。
 

Ⅱ-25図 鴻野山貝塚遠景(昭和62年)


Ⅱ-26図 鴻野山貝塚地点貝塚分布図(昭和61年)


Ⅱ-27図 崎房(梁戸)貝塚遠景(昭和62年)

 貝塚は、昭和三年の大山史前学研究所による調査が最初で、報告文には「飯沼渓谷左岸結城丘陵上の飯沼村・鴻野山・貝殻坂貝塚」と呼称され、主淡(淡水産の貝を主体とするの意)、蓮田(関山)式であるとしている。そして「鴻野山貝塚蓮田式土器出土状態」(ほぼ完型と思われる)を掲載している。昭和六十、六十一年の調査で、この見解がほぼ正しいことが証明されている。つぎに、昭和六十年度の第Ⅰ貝塚の調査結果で得た資料により鴻野山貝塚の概要を説明する。
 第Ⅰ貝塚は、残存している地点貝塚のなかで最も良好な貝層を有していると思われる。最も厚い部分で六〇センチメートルを測り、凸レンズ状の堆積を示している。場所は、東に傾斜する台地端部にあたり、西側は県道のために貝塚の全様を検出することはできなかった。貝殻は九九%以上がヤマトシジミで、他には、マガキ・ハマグリなどが見られた。また、ところどころに焼土層がみられ、水洗選別法を用いたところシカ・イノシシなどの獣骨片、クロダイ・ボラの魚骨片が検出できた。土器は、関山I式期のもののみが多数出土し、復元可能なものも九点を数え(うち完型一個)、調査範囲のわりには、遺物の豊富さを感じさせた。すべての貝殻を除去すると、住居址が検出された。この住居址は、台形もしくは不正方形を呈し、壁際に多数の柱穴が並ぶ関山期特有の形態を示している。以上が第Ⅰ貝塚の概要である。その他の第Ⅱ~Ⅸ貝塚は、第Ⅰ貝塚と同様に、貝塚に先行して住居がつくられ、それが廃棄された後にできた窪みに貝殻が投棄されて貝塚が形成されたものと思われる。