常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第一編 原始・古代

第二章 縄文時代

第五節 縄文遺跡の移り加わり

早期の縄文遺跡は少なく、わずかに三か所が確認されるのみである。いずれも鬼怒川の右岸の台地上に所在している。国生地区の北山遺跡は、河川工事の土取りのために発見されその大部分は破壊されているが早期の田戸下層式土器、茅山式土器等が検出されている。蔵持地区の稲荷山遺跡は同様に土取りのため一部破壊されている。田戸下層式土器と茅山式土器が検出されていると報告されている。現在は北山・稲荷山遺跡ともその位置が明確ではない。入遺跡からも早期の茅山式土器が出土している。
 前期になると早期に比べて遺跡数が増加をみせる。町内では、鬼怒川流域の右岸、飯沼川流域の左岸の台地を中心に発達する。この台地上の各地区から点々と前期の遺跡が確認されている。前述した大山史前学研究所により古鬼怒湾奥部の貝塚として知られる鴻野山貝塚や粱戸貝塚をはじめ、蔵持地区の新六遺跡・門畑遺跡、篠山地区の浦山遺跡、古間木地区の淵内遺跡、四ツ木遺跡などから胎土中に繊維を含む土器群や諸磯系の土器群が出土している。
 

Ⅱ-23図 縄文時代の遺跡分布(早・前期)