常総市/デジタルミュージアム

石下町史

第一編 原始・古代

第二章 縄文時代

第五節 縄文遺跡の移り加わり

石下町における縄文時代の遺跡は、昭和五十二年の茨城県教育委員会による分布調査によると梁戸貝塚や鴻野山貝塚をはじめとし九か所ほど確認されている。その後、昭和六十年から町史編纂室が調査を実施したところ昭和六十二年までに新たに五二か所の縄文時代の遺物を包含する遺跡が確認されたのである。しかし、これらの遺跡は、少数の土器片で磨耗しているため時期が明確でない遺跡も残念ながら含まれている。
 遺跡の現況は畑地が多い。地形的にみて遺跡の存在が想定される地域もあるが、山林部のため確認が困難であったところもみられる。
 これらの縄文遺跡は、鬼怒川と飯沼川とに挟まれた標高二〇メートルほどの台地上に占地するものが多く、縄文時代の各時期のほか、古墳時代や奈良・平安時代の遺跡と複合する場合が多くみられるのである。
 町内での縄文遺跡の発掘調査例は少なく、昭和六十二年までに三~四遺跡があげられるのみである。いずれも小規模な発掘調査のため遺構や遺跡の性格について詳細に把握されたものではない。
 昭和三年大山史前学研究所による鴻野山貝塚の調査の際、主淡貝類とともに前期の関山式土器等が検出されている。昭和六十年十一月に町史編纂室により鴻野山の別地点の貝塚の発掘調査が実施され、貝塚下に竪穴式住居跡の一部が確認され、前期の関山式土器が多数検出されている。
 昭和六十年十二月篠山の神子埋古墳の発掘調査が実施され、古墳の封土中から、前期の土器群が出土している。
 昭和六十一年七月国生本屋敷遺跡の発掘調査が実施され、小片ではあるが前期~後期の土器片が出土している。
 これらの発掘調査及び分布調査から、縄文遺跡の移りかわりと主要遺跡の概略を述べる。