常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 下巻

第五編 近現代の水海道

第八章 戦後の水海道

第一節 農地改革と農民運動

町、村農地委員会の活動の一例として、水海道町農地委員会の場合をみておこう。同町農地委員会は小作人階層(大部分は小規模所有地をもっていた小自作)五人、地主階層三人、自作階層二人の計一〇人から構成された(ただし前表と、同町の「農地等開放実績調査」では次のメンバー一人が異なっており、後者が正しいと思われる。亀崎忠助→荒井孝太郎)。委員の年齢は二〇代一人、三〇代四人、四〇代が一人、五〇代が二人、六〇代が二人という構成であったが、二〇代、三〇代で半数となり、事務局を担当した二人の四〇代の専任書記(途中一人死亡)とともに、若い層がこの改革事業の中心になっていた。事務局には兼任書記二人(町収入役と教員)とあとから雇三人が加わった。
 改革に協力する町内の体制として一一人の「補助員」が置かれた。選任方針として一、各地区において農村統計その他指導的地位にあるもの、二、改革に理解のあるもの、三、農地委員会の仕事に協力性のあるもの、四、比較的余暇のあるもの、が基準となった。そして、委員会の調査事項への協力、意見具申、趣旨の普及協力、委員の補佐等の仕事を行った。
 委員会は昭和二一年一二月に開催されたのを皮切りに、二二年一二回、二三年五回、二四年六回、二五年三回、というように開かれている。特に二二年から二三年にかけては、買収計画、売渡計画を中心に、忙しく会議がもたれている。水海道町農地委員会は、「委員会の仕事に理解をもち協力してくれた人々」という県からの問いに対し、次のように回答している。
 
   大地主は案外改革に協力して喜んで開放をした。特に保有地を全部開放してくれた地主もあり、感謝に
   耐へない。その影響で他の地主も文句を言はず開放した。特に全面積を開放した者次の通り。
   中山藤吉、富村登、野々村稲子、植田武四郎、風見章諸氏。
   保有面積を最少限にして解放した者 山中彦兵衛、秋山藤左衛門諸氏(同町「農地等開放実績調査」昭
   和二五年八月一日)。
 
 しかし同町においては、宅地が財産税物納として差し出されたため、農地解放の価格と比較にならない高額の落札となり、宅地の解放を望んでいた農民の手に解放されなかったという不満が生じた。これは財産税の取り扱いが大蔵省の管轄であったため、農林省の指導になってしまった問題であった。町内の比較的地価の高い所に住む農民に、住宅地が解放されなかった、という問題であった。従って同町農地委員会では、「農地だけの開放では真の民主化、農民生活の安定はない」として、「更に宅地、山林の開放をすべきである。しかも宅地、山林の開放は相当の時価で評価すれば決して地主いじめにはならない」と、明確に述べていた(同前「実績調査」)。
 農地改革によって最も変った点として、一、自作農になったため農民は落ちつきを見せ、生産意欲が高まった、二、農村の民主化が芽生えてきた、といわれたが、このことはどの町村においても同様で、この改革による最も重要な変化であった。