常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 下巻

第五編 近現代の水海道

第六章 教育の普及と学校教育の展開

第二節 教育の統制・軍国主義化

水海道小学校「沿革誌」によれば、大正二年一月、同校において同町青年夜学会が開会され、会長には町長が、講師兼幹事には小学校長が就いた。また講師として小学校訓導三人、水海道銀行行員一人が就任し、以下六か月間、夜間二~三時間の授業を行う、とした。この夜学会は翌年も冬期間に開催されたが、大正四年、同校に実業補習学校が付設されるに及んで、記録からは消えていく。
 実業(農業)補習学校は、日露戦争後、高等科や中等学校に進めない子弟の教育を主眼にして各町村に普及したが、その時期に水海道町に開設されたか否か今のところ確認されていない。しかし「沿革誌」にみられる青年夜学会が、実業補習学校に発展したとも考えられる。
 実業補習学校は毎年一一~一二月頃から翌年三月にかけての農閑期に開設され、講師には小学校教員が兼務してあたった。毎年小学校の教育費予算の中から、教員手当と諸費がこれに当てられた(開設当初は年七〇円、一〇年後の大正一四年には三五〇円)。この実業補習学校は、大正期に年々充実し、国においてもこれを重視して、専任教育の養成機関を設けたり、また教育研究会が開催され、質の向上が図られた。
 社会教育機関として充実の一途を辿った実業補習学校には、地域青年会活動の拠点的意義もあったが、一面徴兵検査前の青少年の思想善導や集団行動の訓練という意義があった、とされる。しかし、大正一五年四月、勅令によって各町村に設立が義務づけられた青年訓練所は、一六歳から二〇歳未満の、すなわち徴兵検査適齢以前の青年男子に対する軍事教練が中心的内容であった。
 水海道町においては、大正一五年六月、小学校において青年訓練所の入所式が行われているが、この訓練所の指導に当ったのも小学校の教員で、同年においては、次のような辞令が出されている。
 
   ○水海道町立青年訓練所主事兼指導員ヲ嘱託ス 年手当六十円              学校長
   ○青年訓練所指導員ヲ嘱託ス 年手当五十三円                     訓導
   ○水海道町立青年訓練所指導員ヲ嘱託ス 年手当三十六円                指導員
 
 青年訓練所の所長にあたる役職名を主事といい、小学校長の兼務であった。また指導員と呼ばれた教科の教員には小学校の訓導が兼務してあたり同年には五名が任命された。軍事教練を担当した指導員には、町内在郷軍人会に属する軍人三名があたった。
 この青年訓練所が設立されて以後、前述の実業補習学校は次第に衰退していった。というのは、適齢者は訓練所と補習学校の二つに出席するということで負担が重くなり、訓練所に重きが置かれるようになったからである。
 訓練所は全ての町村において一率に設立運営された。農閑期に集中しているとはいえ、年間を通じて一二〇時間に及ぶ軍事教練が実施されたことは、これに寄せた国の期待がいかに大きいものであったかを示すものに他ならないといえよう。教練のほかの科目には、修身、公民三〇時間、普通学科(国語、数学、地理歴史)六〇時間、職業科として農業三〇時間、商業三〇時間があった。職業科を選択科目とすると、軍事教練の一二〇時間に対し、その他の科目は合わせて一二〇時間となり、従って一日二時間を、教練とその他の科目に当られ、年間一二〇日の出席が義務づけられた。しかし一般に軍事教練は厳しく、生徒に嫌われるところとなり、出席率の向上を図ることは、主事や指導員であった教師の側の大きな課題であった。