常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 下巻

第五編 近現代の水海道

第六章 教育の普及と学校教育の展開

第一節 二つの私立学校の設立

菁莪学館は大正七年(一九一八)九月、前項でみた水海道中学の紛争に際し、同年三月退職していた安藤誠を館長に、橋本宝蔵院を校舎として創立された修学年限三年の私立男子中学校である。安藤は千葉県夷隅郡東海村の出身で、慶応義塾を卒業後、一時出身郷里で三省学校という私立学校を開いたこともあったが、明治三三年以来、分校当時の水海道中学に赴任し、長い間同校で教鞭をとってきたのであった。とくに大正五年には、卒業生と在校生徒を結ぶ「亀陵会」が組織されるとその会長に選ばれる等、地域や生徒とのつながりが深くなっていた。
 同校の設置にあたって設立者(館主)として奔走したのは、大花羽村出身で、当時常総鉄道の幹部社員であった古井岩三郎であった。彼は組合立高等小学校から水海道中学に進み、ここで安藤らの薫陶を受け、旧制第一高等学校(理科)に進んだ。同校でボート部等に所属して体を鍛えていたが胸を患ひ帰郷した。回復後の明治四四年、創立当初の組合立実科高等女学校の書記となり大正二年二月まで勤めていたのであるが、常総鉄道会社が設立されるに及び、技術系の幹部社員(のちには役員)として就職する。
 大正七年、水海道中学を舞台にして起きた紛争に対し、古井は卒業生有志の中心メンバーのひとりとして安藤教頭等の辞職撤回を求める運動を行った。同校における問題は、結局校長の意志が通る形で決着し、卒業生や町民等の運動は功を奏することがなかったが、この時集中した町民等のエネルギーが、同じ年のうちに、安藤を中心とする菁莪学館という新しい教育機関の設立となって実現したといっていいであろう。設立当時の菁莪学館の様子は、つぎのように述べられている。
 
   不肖等地方教育の現状に鑑み実業を加味せる中等教育の必要を感じ自ら揣(はか)らず去る大正七年八月
   当菁莪学館を設立致候所開校期学年の中途にて候ひし為も可有之歟開校当時入学者僅々三十名にて経営
   非常に困難に陥り候ひしが幸元水海道中学校長鶴見次昌外数氏の教授上献身的助力と地方有志の後援と
   により辛うじて維持致居り候所校運漸次良好の兆を呈し大正八年四月学年始には入学者九十名有之………
 
 この文は、同学館から毎年役場宛に提出された「町費補助申請書」の一節であるが、設立の当初は経営が厳しかったことが述べられている。そして水海道中学の元校長鶴見次昌も応援したとされ、教員の中心は同校退職者があたったことが分る。設立時から昭和四年までの同校の学級数、教員及び生徒数、収支状況を「茨城県統計書」から整理すると、第三七表のとおりであった。
 
第37表 菁莪学館の概況
 学級教 員生 徒入学者卒業者本年度収入
総 額
本年度支出
総 額
授業料其ノ他
ノ収入
経常費臨時費
T 7 22606045028060535
 8 3141129581,4851,4802,760200
 9 3314569273,5655343,725375
 103317370393,7955694,020340
 113317095494,3648104,504670
 1234205115474,6003,0506,1501,500
 134421085525,5349246,495900
 144521090666,6328136,775670
 154621095536,6311,2037,171663
S 2 4719590635,7781,8017,070510
 3 4819177496,2521,2177,055415
 4 4917274505,4821,2066,491216
(「茨城県統計書」より作成)
註)1 大正11年の授業料は毎月2円,館費30銭で8月は授業料,館費とも半額であった。
  従って授業料年間23円,館費同じく3円45銭であった。
2 昭和4年の生徒定員は250人とある。