常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 下巻

第五編 近現代の水海道

第四章 諸産業の発展と交通

第二節 諸会社の設立と銀行

水海道町には水海道銀行のほか、東京に本店をもつ報徳銀行が明治四五年(大正元年)から支店を設置していた。報徳銀行は明治三一年九月の設立で、子銀行として報徳貯蓄銀行(大正一〇年分離独立)をもっており、報徳主義をかかげ、普通銀行業務のほか、庶民の零細貯金を集める貯蓄銀行業務、とくに定期積金に力をいれる経営を行っていた。大正一一年上期末には報徳銀行(資本金二〇〇万円)は預金三五〇〇万円、貸出金二六〇〇万円、全国に二二支店を有していた(六大都市、関西、四国、九州および水海道町)。報徳貯蓄銀行(資本金一〇〇万円)も預金九二〇万円、貸出金六〇万円をもち、両行合わせると相当に有力な銀行であった。
 第一次世界大戦期の積極的または放漫経営の反動で、大正一一年末にも全国で二九行の銀行が取り付けられた。報徳銀行は関西地方に支店が多かったため、京都の積善銀行(資本金五〇〇万円)の休業の影響で、大正一一年一二月一四日に二週間の休業を発表した。報徳銀行も放漫貸付により不動産担保貸付を中心に、多くの欠損をかかえていたからである。同行水海道支店も、本店とともに休業したが、これは住民にとっては寝耳に水の出来事で、住民の不安は高まり、前述のように翌十五日には水海道銀行にも預金者が預金取付けに殺到した。
 休業後の大正一二年八月二六日現在、報徳銀行水海道支店の預金は一九五七口、七〇万円(一口当り三五六円)、報徳貯蓄銀行支店の預金は三七一口、八万円(一口当り二一四円)であり両行支店の預金合計は七八万円となる。大正一二年五月現在の水海道銀行預金は一一一万円であったから(第二八表参照)、これと比べても報徳銀行の預金が一時的にせよ支払い不能となったことは、町の経済に大打撃であった。預金の規模がほぼ等しい水海道銀行が、報徳銀行休業の余波を受けて取付けられ休業寸前となったのも、もっともなことである。
 
第28表 水海道銀行の主要勘定
年 末公 称
資本金
払 込
資本金
積立金預 金貸出金配 当 率支店
上期下期
 千円千円千円千円千円%% 
明治29年100500361078
 *30 2007504213211.2
  31 2001205681951212
  32 200140
  33 2001801213033212
 *34 200200151283461112
  35 200200281011
  36 200200351463321210
  37 200200422273081010
  38 200200462363061010
  39 200200543342111010
  40 20020061300305108
  41 2002006428137288
  42 2002006726120788
  43 2002007026925288
  44 2002007232028188
大正1 2002007545845188
  2 2002008039950889
  3 20020087371392981
  4 20020089316387882
  5 20020079609416892
  6 200200958414388102
  7 5002751251,18856910102
  8 5002751381,4721,02210102
  9 5004251511,4081,39210103
  10 7205131581,6022,00110105
  11 7205131791,4542,07410106
 *12 7205131771,1092,2266
註)(1) *印の明治30年,34年は上期末,大正12年は5月26日現在。
(2) 貸出金は貸付金,当座預金,貸越金割引手形の合計,一部には荷付為替手形を含む。
出典)『銀行通信録』,大蔵省『銀行総覧』,『常陽銀行二十年史』,東京興信所『銀行会社要録』。


 
 報徳銀行と報徳貯蓄銀行は、五回にわたり休業延期を重ね、その間に同行経営者たちは日本銀行の援助を取りつけ、和議法により預金者ほか債権者の整理案への調印集めに努力した。水海道では鈴木吉太郎らが再建整理のため努力した。その結果、大正一二年七月にいたって報徳銀行は整理案を発表したが、同行の損失額は七二九万円に及び、二五〇〇万円の預金のうち一口一〇〇円以下の預金はすぐ支払うが、残りの預金から四五〇万円は整理会社の株式に替え、さらに残りの預金は一年と二年の定期預金に振り替えるという内容であった。前記の一口当り預金額からみて、多数の預金者の預金がたな上げされたことになる(『銀行通信録』)。
 大正一二年一二月一六日、休業後一年たってようやく報徳銀行は開業した。なお同年一二月中に、政府は同行救済のため預金部資金四二〇万円を日本勧業銀行債券の引受の形で支出している(『日本金融年表』)。さらに大正一三年八月に報徳銀行と東京報徳銀行(報徳貯蓄銀行改称)は合同して、東明銀行(資本金三九八万円)となった。こうして報徳銀行水海道支店は、東明銀行水海道支店と改称したが、その後東明銀行の経営は振わず、昭和四年一二月に破産宣告を受けた(水海道市渕頭町鈴木家資料、『銀行通信録』、『銀行総覧』)。