常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 下巻

第五編 近現代の水海道

第四章 諸産業の発展と交通

第一節 水運と水海道の商業

このように商業都市として発展を見てきたが、水海道には具体的にはどのような商店や職種があったのだろうか。前にみた幕末期の新右衛門組(宿の一部および森下、山田坪を治めた)における「農間渡世取調帳」には諸種の営業人や職人層が記録され、当時における町の様子が生き生きと伝わってくる(富村登『水海道郷土史談』前編)。そこには大工、左官、刀研(とぎ)屋、樽屋、畳屋、下駄屋、鍬つる屋、ちょうちん屋、建具屋、綿繰屋、綿打屋、糀屋といった職人、製造業者、魚屋、油屋、荒物、塩物、油穀醬油荒物等、はし穀、古着、菓子小売、材木屋といった物品販売業、さらには旅籠屋、居酒屋、髪結、すし屋、うどん屋、湯屋等のサービス部門に属する諸営業などがあった。また醬油造などの醸造業もあり、これら業者は全部で六三戸に及び、営業者は農業と兼業一八戸、借宅地人が営む本業四五戸という内訳であった。職人、製造業には当然自分が造ったものを売る商業活動も含まれたから、単なる物品販売業務との区別はつけがたいが、とにかくこうした職種が存在し、農民の中からも諸業を営む者が分かれてきたことがわかる。新右衛門組は権左衛門組より小さく、宿の大部分は後者に属したから、ここに見たのは幕末期の水海道の商業の動向を示す一部分であり、全体はさらに豊富で多面的であったと考えられる。
 明治一〇年代における町の職業構成は、全戸数九一六戸に対して農業一四〇戸、(一五・三%)、工業一五七戸(一七・一%)、商業五六〇戸(六一・一%)、雑業五九戸(六・四%)であり、商工業が農業に比べて極めて高い数値を示している。
 この時点における「商業種別表」を整理してみると第二四表(明治一七年調査)のとおりである。明治一七年にはこの外「雑商」として、旅籠屋二〇、料理屋一四、汁粉屋七、蕎麦屋四、煮売業三二、鰻屋二、車製造所一、瓦製造所一などが記されている。種類が多いのは、米屋、銅鉄物、青物、菓子などをあつかう業種、荒物、干魚乾物、魚鳥、小間物、酒などを販売する店がこれについだ。
 
第24表 明治10~20年代水海道町各種商店数調べ
明治17年調査明治23年調査明治24~26年調査
1呉服太物(7)1呉服(14)1(3)
22干鰯(12)2肥料(3)
3荒物(16)3荒物(20)3(2)
4(68)4米雑穀(50)4(13)
55紙類(5)5(2)
6砂糖(2)6砂糖(2)6(2)
7履物(10)7下駄(9)7(3)
8陶器(4)8陶器(7)8(3)
9材木(8)9材木(9)9(2)
10干魚乾物(11)10乾物(8)10(3)
11魚鳥(15)11魚類(6)11
12製茶(7)12(9)12製茶(1)
13糸綿(37)13糸綿(14)13(2)
14小間物(10)14小間物(20)14(2)
15銅鉄物(39)15鉄物(18)15銅鉄(2)
16書籍(2)16書籍(2)16(2)
1717(18)17
18醬油(1)18醬油(3)18(3)
19足袋(9)19足袋(5)19(2)
2020筆墨(2)20(2)
2121(6)21
2222(4)22
23(0)23石類(2)23
2424(2)24
25酒類(13)25酒類(4)25(5)
26生糸(1)26生糸(6)26
27青物(42)27青物(76)27(1)
28菓子(86)28菓子(68)28(7)
2929煙草(17)29
3030塗物(3)30
31種物(2)31種物(6)31(3)
3232鳥類(3)32魚鳥類(1)
33(8)33(1)33(1)
34豆腐(8)34豆腐(6)34(6)
3535(5)35(3)
36(6)36油類(5)36(3)
37薪炭(7)37薪炭(5)37
○38質店(10)○38質屋(5)○38(27)
○39回漕店(4)○39陸運回漕(2)○39回漕(4)
4040唐物(3)
4141漆器(2)
42薬種(3)42薬種(3)
43古着(21)43古着(8)
44古道具(9)44古道具(3)
45翫物(4)45翫弄物(2)
4646牛乳(1)
4747植木(1)
4848時計(1)
49袋物(5)
50家具(6)
51粉類(3)
52(2)
53鼈甲(1)
54(2)
55味噌(2)
56蒟蒻(2)
合   計   (489)合   計   (482)合   計   (103)
註)番号で同一商品の取扱いを示した。( )内は店数。○印は問屋(回漕),仲買(質屋)という分類に属し,その他は卸売に属した。
しかし実際には小売が大半で,厳密に卸売なのは,明24~26年らんのみである。
出典)『茨城県史料=近代産業編Ⅱ』


 
 明治二〇年代の商業の概況は同表の、二三年調査と、二四~二六年調査を、いずれも『茨城県勧業年報』(各年)から知ることが出来る。この表の数字は注記したとおり、問屋、仲買、卸売という分類でなされているが、その通りに「卸売」を示してたのは明治二四~二六年の三年間のみで、それ以前は小売業も合まれている。従って表でみる明治二三年と、二四~二六年の各業種別商店数の差が小売業者の数をほぼ示していると見てよい。つまり呉服を取扱う商店では卸売が三店、小売は一一店と考えることができる。「卸売」として記録された商店においても小売業は行ったであろうが、主力部門は卸売にあり、それだけ資本規模も大きく、関連小売業に対する影響力も強かった。後出にみる大規模商店はほぼこれら卸売業の階層に属したと思われる。小売店数のとくに多いものは、米雑穀、糸綿、青物、菓子であり、荒物、鉄物、小間物、繭、煙草などがそれにつづく。また表の一七年と二四~二六年調査のみにある業種は、二三年調査の時点でも継続して存在していたと考えてよかろう。