常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 下巻

第五編 近現代の水海道

第一章 明治期水海道の政治と社会

第一節 地方行政の出発と自由民権運動

明治一二年(一八七九)は、全国津々浦々にわたり、日本史上初の、しかも一般民衆の参加による選挙が行われた年であった。
 その根拠になったのは、前年に出された府県会の設置、大区・小区に代る郡区、町村の編制、それらを保障する税則、の三つの法律で、普通これを地方に関する「三新法」と呼ぶ。
 先ず先頭を切って行われたのは、三月の県会議員の選挙であった。各郡役所管轄地を選出基盤とし、一年に地租五円以上を納める選挙人からなる選挙により、総勢四三人の新議員が誕生した。結城、岡田、豊田郡からは、豊田郡川尻村の赤松新右衛門、結城郡平塚村の諏訪弥七郎、そして水海道駅の秋場庸の三人が選出された。
 この県会議員の選出に相前後して各地で行われたのが戸長の選出である。従来各小区におかれた副区長、戸長等の役職は、大区・小区制とともに廃止され、新たに各村に、民選の戸長をおくことになった。各村とはいうものの、村の規模は大小さまざまであったので、ほぼ三〇〇戸に一人という基準が設けられ、諸村が連合して戸長を選出するという、連合村制の出発点となった。戸長の(被)選挙人は二五歳以上男子で地租を納める者という条件があり、選挙人はさらに戸主のみという定めであった。
 この選挙で選出された水海道市域の全ての戸長については不明であるが、連合村の実態と、判明している戸長名(→印の下は明治一五年の時点)のみを掲げると、つぎのとおりである。また「便宜」の地に、戸長役場が設けられ、筆生という名の事務員が置かれた。
 
   ○豊田郡水海道駅(不明)
   ○同郡新井木、長助新田、兵右衛門新田、箕輪、大崎(本橋善重→同人)
   ○同郡十花、小山戸、中山、相野谷、平右衛門新田(秋場八左衛門→同人)
   ○同郡福田、福崎、上蛇、三坂新田(谷田部久右衛門→同人)
   ○同郡沖新田、上川崎、中川崎、下川崎(池田重良平→池田市郎兵衛)
   ○同郡三坂(柳田伝衛→同人)
   ○同郡中妻(不明→落合久兵衛)
   ○岡田郡花島、大輪(草間吉財門→石塚清一郎)
   ○同郡羽生、横曽根(星久馬→永野三左衛門)
   ○同郡報恩寺、飯沼(石塚重内→同人)
   ○同郡大生郷、大生郷新田(不明→岡野十左衛門)
   ○北相馬郡大塚戸(横島源六→横島正一郎)
   ○同郡内守谷(鈴木菊次郎→新井長左衛門)
   ○同郡菅生(浜野清一郎→大滝富蔵)
   ○同郡坂手(長塚守之助→長塚玄春)


 
 この年の秋には、各(連合)町村内に、町村会が設置され、町村会議員の選出が行われた。町村会は、町村の経費で賄う事業に関する議事を行う任務を主なものとした。そのために経費徴収や共有財産の運営のほか、地方税としての戸数割税割り当てを定める機関であった。議員定数は各町村の人数によって決められており、一六〇〇人以上の所は二〇人、一二〇〇人から一六〇〇人未満の所は一七人という具合で、四〇〇人未満では八人となっていた。
 この年一〇月に、満二〇歳の男子で、地租を納める者により水海道駅村で選挙が行われ、つぎの二〇名が選出された。
 
   五木田文右衛門、谷田川五兵衛、岡野文右衛門、荒井八十七郎、五木田彦五郎、高橋市三郎、羽田徳右
   衛門、松崎徳右衛門、鈴木松右衛門、滝川政平、荒井作兵衛、秋山藤左衛門、石塚源次郎、松信国三郎、
   染谷伊三郎、沼尻友吉、山中半兵衛、風見力三郎、五木田伊右衛門、柴崎五右衛門
 
 明治一二年には、このほか、戸長事務を、ほぼ各大字単位で協力する人民惣代という役職が設置され、その選出も選挙形式によることが定められた。
 このようにこの年は、県会議員、戸長、町村議員、人民惣代という各級の選挙が行われた。選挙権者及び被選挙権者は財産の所有や男子のみというように制限つきではあったが、新しい政治制度、代議政体がとり入れられ、政治に対する意識は、いやが上にも変化することになったのである。