常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 下巻

第五編 近現代の水海道

第一章 明治期水海道の政治と社会

第一節 地方行政の出発と自由民権運動

明治四年(一八七一)七月、廃藩置県の詔書が出され、各藩は全て「県」と名称を変更した。そして同年一一月には、府県の統廃合が進み、入り組みのない完全な地域割りによる三府七二県が新たに誕生し、ここに事実上の廃藩置県が実現した。本県域は茨城県をはじめ、新治県、印旛県の三県のかかわる所となり、旧下総国に属した水海道地方は全て、印旛県の管轄下に入った。印旛県は結城、岡田、豊田、猿島、葛飾、相馬、千葉、埴生、印旛という、現在の千葉県域にもまたがる下総国九郡から構成された。県庁は当初、葛飾郡本行徳村(現千葉県市川市)に仮設され、のち加村(流山市)に移転された。
 印旛県と定められて先ず行われた事業は、戸籍調べである。明治五年(一八七二)二月には各地に係官が派遣され調査を進めることになった。のちに大区・小区制と呼ばれた地方制度は、当初は戸籍調査のために設けられたものであった。水海道地方は岡田郡が第四大区、豊田郡が第五大区、北相馬郡が第六大区となり、その下に幾つかの小区が設けられた。小区には一、二名の戸長と数名の副戸長がおかれ、彼らが中心となって二月には戸籍ができ上がった。この時に作成された戸籍の形式は、近世以来の「宗門人別帳」と類似しており、明治五年の年をとって「壬申戸籍」と呼ばれる。
 さらにこの年四月には、庄屋、名主、年寄等が廃止になり、戸長、副戸長を設置する法律が公布された。これにより戸長等は戸籍事務ばかりでなく、一般行政事務を担当するようになった。
 同年九月、大小区の変更が行われ、岡田、豊田両郡は第四大区(全七区)に、北相馬郡は印旛郡と共に第五大区(全一二区)になった。また小区の統轄者として「頭取」が新たにおかれた。この役職には、「一小区内ノ人民土地ニ関スル大事ヲ総轄殊更進歩ノ形勢ヲ計リ会席等ニ於テハ政府ノ得失人民ノ利害聊忌諱ヲ憚カラス勉メテ弁論以テ上下ノ事情壅蔽ナカラシメン」という、新政府に忠実な、新しい指導者としての任務が負わされた。戸長以下が公選であったのに対し、戸長頭取は県庁の選任制で、水海道村では秋場桂園がその職についた。
 印旛県においては、戸長頭取を会員とし、これに県側の幹部が出席した大区集会及び戸長頭取が会頭となって招集する小区集会が、いずれも月一回開催されることになっていた。大区集会は三局に分かれ、水海道を含む北局は月の二一日、沓掛村で開くと定められた。会議とはいうものの、上意下達機関として、学制、地租改正、徴兵制などの新政府の重要施策が、相ついで発せられ、頭取を始めとする正副戸長層の肩にその任務が重くのしかかってきたのである。印旛県時代の大・小区制及び正、副戸長の一例を、水海道村を中心につくられた第四大区七小区から見てみよう(第一表)。なお、立会人とは、旧幕時代の百姓代に当たるとされ、居村内にあって最も一般人民に近い所で協力する者を指していた。
 
第1表 印旛県第4大区7小区戸長等一覧(1872年9月)
村  名戸   長副 戸 長立 会 人
水海道村(頭取)秋場桂園
   松信嘉吉
   秋場文之助
五木田総右衛門,染谷太兵衛,山中喜兵衛,荒井仁左衛門,鈴木松右衛門,片野治郎兵衛,沼尻久兵衛風見吉兵衛,柴崎善兵衛,松崎庄兵衛,田村伝次郎,山中兵右衛門,豊島冝平
相野谷村   秋場八左衛門山本清左衛門桜井平左衛門,青葉平右衛門
新井木村秋場利吉五木田八右衛門,石塚久右衛門
長助新田市村長助本橋善重
兵右エ門新田小塚治兵衛冨田権兵衛,鈴木八郎右衛門
箕輪村寺田平右衛門石島源左衛門,程田三郎兵衛
大崎村渡辺弥左衛門,須藤長左衛門須藤忠兵衛,武藤治兵衛,渡辺作兵衛
平右衛門新田木(樽)久作永瀬平兵衛,広瀬源兵衛
以上頭取1人,戸長3人,副15人,立会人21人  合計40人