常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 上巻

第四編 近世の水海道地方

第五章 水海道の文化

第三節 学問

桂園、名は祐、通称元吉又は謙吉、さらに天香の号もあった。文化一〇年(一八一三)一月二八日水海道村に生まる。家は代々名主をつとめ、当主は権左衛門を襲名していたので桂園もまた名主権左衛門を称していた。桂園若くして学を猪瀬豊城にうけ、ほぼその大義に通じたが、のちさらに土浦の儒者大野竹軒の門に入り、なおすすんで江戸に赴き佐藤一斎、大窪詩仏らの門を叩いて勉学し、のち郷里にかえって名主の職についた。そのころ水海道は地方において一つの文化圏を形成していたので、四方から多くの文人墨客があつまった。そのうちでも小野湖山、大沼枕山、鷲津毅堂、川田甕江(おうこう)、信夫(しのぶ)恕軒ら当時著名の文人が相ついで水海道を訪れたので、桂園はそれらの人びとと交わりをふかめ、ますますその学識を博め、北総の地に秋場桂園のあることを世に知らしめた。桂園またつとに勤王の志あり、幕末の志士吉田松陰、頼三樹三郎の両人もかつて相次いで水海道に桂園を訪うや、そのつどこれを歓待し、ともに盃を傾けながら国事を談じ、夜を徹するを知らなかったと伝えられる。
 桂園没年八三歳、時に明治二八年(一八九五)五月一四日であった。
 

秋場桂園