常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 上巻

第四編 近世の水海道地方

第四章 交通と商業の発達

第三節 水海道商圏

河岸と市場の流通によって物資の集散地となった水海道は、また、周辺農村の零細な地場産業をも席巻し徐々にその商業圏を拡大していった。市街には各種の商人が流入し定住しはじめていた。名主権左衛門組下の明和七年(一七七〇)から寛政三年(一七九一)まで二一年間の運上金扣には、船問屋、酒造、質屋、油屋の大店から、湯屋、鍛冶、左官の諸職人にいたるまで名前が記録され、毎年四〇両余の運上金が納められていた。また、同村地頭渡辺配下(名主新右衛門組下)では、全戸数一七〇戸の約三分の一にあたる六三戸三二職種の農間商渡世が書き出されている。このように水海道村には各地方から商人が移り住み、また経済的繁栄を背景に巨大な富を蓄積する商人も生まれるようになった。
 水海道の商人を富ましめたいくつかの産業の中で酒造、醬油、呉服は特筆すべきものであった。酒造は元禄八年(一六九五)の「御用留」に権兵衛(土井氏)他五名(うち一名は横曽根村理右衛門)の百姓が造酒米四五〇石を記載され、さらに、元禄一五年には水海道村七左衛門(五木田家)が内守谷村伝左衛門から酒株を譲渡され酒造業を営んでいる。酒造は年貢米と関連から幕府の統制が厳しく、新規の酒造取立てはほとんどなく旧来の酒屋株を買収して営業を始める者が多かった。また、酒税は一〇〇石につき金二〇両と負担は重く、元治元年(一八六四)の文書に、
 
   「水海道村百姓勘兵衛奉申上候、私儀往年より農間酒造稼罷在、去ル廿三ケ年巳(ママ)前天保十三寅年
  中従…(中略)…高百弐拾石之御鑑札頂戴是迄右渡世仕申来候処、身上向連年不如意」
 
 とあり、酒屋株を藤左衛門へ譲り渡し経営の苦しさを述べているが、酒造は商人にとって恰好の利潤を得る渡世とみえ、水海道村には明治二年(一八六九)、酒造家三軒、濁酒造八軒があった。
 醬油製造も文政七年(一八二四)、関東八組造醬油家仲間の結成に水海道組七家が参集し、江戸地廻り醬油仲間の一翼をになっているので恐らく天保一一年(一八四〇)、「野田醬油番付」(野田市郷土博物館蔵)にみえる釡屋嘉兵衛、慶長半右衛門、同半兵衛等が中心になったものと思われる。
 また、寛政期ごろから常州下館・真壁を中心にさかんになった木棉の栽培に注目し、水海道村釜屋伊兵衛・八百屋市三郎等が木綿の「買次」商人として活躍した。
 この他、水海道村には油屋として釡屋太兵衛、丁子屋武兵衛、程田喜兵衛(油喜)等の名前があり、一五挺の油締め木を所有しこのなかには幕末莫大な資産をなした商人もいた。元治元年(一八六四)、天狗党のいわゆる筑波挙兵に際し、水海道村豪商数名に軍用金調達の差紙が廻されたが、「利兵衛(鍵屋=呉服太物他)より三百七十両、藤兵衛(鍋屋=質屋他)より百三十五両、源兵衛(荒源=質屋他)より百両、理(ママ)兵衛(不明)より七十五両、安兵衛(鍵屋=古着他)より三十七両弐歩右金七百七十(ママ)両弐分強談申威借取」とあり、恐らく水海道村の豪商富豪の名が常総地方に広く知れわたっていたと考えられる。そしてそれはまた、水海道の商人たちの交易範囲すなわち水海道商圏と符合するものであった。
 
天保3年(1832)諸職運上金覚にみる水海道村の商人
職 種屋 号 及 び 商 人 名
居酒屋利根川屋(久兵衛),糀屋(清兵衛),宝蔵院居角兵衛,大和屋
(久治郎),豊島屋(吉兵衛),みなとや(又蔵),[  ](茂左
衛門),かめや(利兵衛),吉川屋(久兵衛),川下屋(徳右衛
門),鬼怒川屋(松蔵),武蔵屋(勝五郎),河岸(半兵衛),新
酒屋(次兵衛)
油 屋喜兵衛,孫兵衛,佐七,利兵衛,儀兵衛,五兵衛,七左衛門,
儀右衛門,久兵衛,儀兵衛,八郎兵衛,作兵衛,治郎兵衛
醬 油釜屋(嘉兵衛),慶長(半兵衛),慶長(半右衛門)
呉服太物商利兵衛,与兵衛,吉兵衛,善兵衛,市三郎,安兵衛
卸酒屋釜屋(嘉兵衛),松戸屋(勘兵衛),慶長(半右衛門),小川屋
(新助),力士屋(伊之助),佐原屋(庄兵衛),鹿島屋(利兵衛)
大津屋(吉兵衛)
古着屋鍵屋(治兵衛),釜屋(武兵衛),木村屋(治兵衛),太田屋(作
兵衛),とのむら(長兵衛),谷屋(善七),長田屋(嘉伝次)
玉屋(平重郎),稲荷屋(喜介),鍵屋(安兵衛),鍵屋(儀兵
衛),えびすや(源兵衛),釜屋(長八),大和屋(茂兵衛)
質 屋善四郎,藤兵衛,儀兵衛,嘉兵衛,半兵衛,久兵衛,五兵衛,
源兵衛,伝兵衛,武兵衛,嘉右衛門,利兵衛(吉兵衛分)
鮮 魚鍋屋(藤兵衛),釜屋(嘉兵衛),釜屋(五兵衛),大津屋(吉兵
衛),近江屋(伝兵衛),丁子屋(六次郎),釜屋(伊兵衛)八百
屋(市三郎),大黒屋(善兵衛),慶長(半兵衛)
青果物小右衛門
※  
船問屋
治兵衛,嘉兵衛,惣右衛門,庄蔵,忠兵衛,清兵衛,九郎兵
衛,半兵衛,喜右衛門
※寛政5年(1793)「船問屋株運上覚」(水海道秋場家文書)