常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 上巻

第三編 中世の水海道地方

第五章 戦国時代の常総

第二節 常総諸豪族の攻防

石塚・渡辺を先陣として押し寄せた水海道勢下妻勢に対して守谷城兵は弓鉄砲を打ちかけ本多越中、高井民部、椎名佐渡、斎藤主計、前野修理、間根山和泉ら三〇〇余騎は城門を開いて突き出て、追いつ追われつの激闘となったが、水海道勢、下妻勢は土塔塚の辺に休息した。
 当時、由良信濃守国繁は、上州金山城にあったが、足高・牛久の急報に接して、両城の応援をしようと武州の兵を合わせ数千にて夜を日についで急ぎ板戸井(守谷町)に着した。そこで足高の落城、守谷の攻防中であることを知り大道寺駿河守政繁を先鋒に人馬の響をたてて進んだ。土塔塚に居った五木田釆女之助が斥候となって馬を駆せ旗の紋章をみるに明らかに由良勢と松井田城主大道寺勢である。
 石塚と渡辺は大いに驚いたところに、本庄・深谷・熊谷の武州勢に鉄砲を打ちかけられ、そのうえに上州勢の篠塚伊賀・江田治郎・岩松大炊助・瀬良田・堀口らに横合より討ちかかられたので石塚・渡辺は敗走した。城兵はこれをみて進み出た。殿軍であった小林左衛門と松崎十郎は討死し、渡辺播磨と石塚左京はかろうじて逃げることができた。
 由良と大道寺は守谷に入城して相馬と本多に対面して足高落城の次第を聞いて、直ちに小張・板橋を攻め亡き岡見殿を弔うことにした。
 天正一六年(一五八八)初春、由良国繁が二〇〇〇余騎を率いて守谷から小張城に押し寄せると、この城には大山備前・河田出羽らの二〇〇騎が拠っていたが、由良勢の力におそれて城を棄て、板橋城に去って、その勢いに合流した。由良勢はさらに板橋に向かうと、弓鉄砲をあびせられたが江田治部・大館七郎らは竹束を楯にして進んだ。城よりは豊島日向、青木丹波、河田らが三〇〇騎にて打って出て敵数十人を倒している。城将の青木治部の兵も城を出て、江田・大館らと渡り合った。そこへ由良方の篠塚伊賀守・栗生式部・岩松・堀口・松本十蔵らがおどり入って乱戦二時間(一つ時)に及んだので双方疲れ休むところに瀬良田、岩松らが放火したため四方に燃え広がった。時に由良の本隊一斉に寄せたので抗することができなくなり、青木・豊島・河田・大山ら降参していうに、我等はもと月岡玄蕃や唯越全休の家臣であったが、多賀城に降っていた。今から心を改めて幕下になりたいとして降った。由良はこれを容れて青木・河田を先陣として牛久城に向かわせる事になった。
 このころ、牛久城の近くの東輪寺城(茎崎村東林寺)では合戦が行われていた。