常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 上巻

第三編 中世の水海道地方

第四章 南北朝・室町時代の争乱と常総地方

第六節 古河公方

文明一四年(一四八二)九月二八日には、古間木城主渡辺氏が古河公方直義(成氏の別名か)の命で、長南城(下総)を攻めている(石塚安一郎氏蔵感状写)。
 
   去九月廿八日、長南城に於て、責[攻める]の時、忠節を致すの条神妙也 弥(いよいよ)戦功を抽(ぬきん)
   ずべきの状件の如し
    文明十五年 月十五日 足利直義(花押)
     綿延[渡辺]縫殿助殿
 
 また、道灌暗殺後、両上杉氏の対抗が始まり、長享元年(一四八七)冬、道灌の嫡資康は、父を殺した扇ケ谷定政を離れて、山内顕定に味方したので、同二年(一四八八)には定政は古河公方に援助を求めている。佐竹義治も公方党となった。かく昨日の敵は、今日は友となった。
 同二年六月八日には公方成氏は、武州菅谷原の戦に、定政の応援をなし、顕定を破っている。この戦には豊田郡の兵が参加している。
 
   今度武州菅谷原の御一戦に、その方新兵衛はたらき候よし、印東殿より、おん申しこされ、基経におい
   ても神妙に存(ぞんし)候、よって弥々(いよいよ)平塚事おんとしてあておこない候謹言
    八月十三日   基経
      新兵衛尉殿
 
 右は、古間木城主渡辺新兵衛尉が、公方の命で下妻軍に属し出陣し、菅谷原合戦にはたらき恩として平塚(大方郷平塚村)を宛行われた状で、同行の印東氏がその働を証言している。渡辺氏は七年前の一回目の菅谷原の戦にも公方の命で出陣し後、永正一六年(一五一九)にも水海道横曽根の羽生氏と共に上総に出張している。これは後記する。