常総市/デジタルミュージアム

水海道市史 上/下

水海道市史 上巻

第二編 原始・古代の水海道地方

第五章 律令国家の衰退と武士の台頭

第六節 保元・平治の乱と常総

義朝と清盛が政治上抬頭した。藤原氏には信西(しんぜい)(通憲)と信頼の対立が生じた。信西は清盛と、信頼は義朝と結んだ。平家一族の熊野詣に乗じ平治元年(一一五九)一二月四日、信頼らのクーデターが一時成功した。
 義朝には源氏恩顧の東国武士が多く集まった。三浦義澄・熊谷直実や関俊平・千葉常胤らが参じた。常胤の母は豊田氏出であるから豊田氏も行動を共にしたろう。久安五年(一一四九)六月平頼盛(清盛の弟)常陸介となって豊田領松岡荘を奪っているから豊田氏は平氏に反感を持っていたはずである。熊野から帰京した清盛は策をめぐらし天皇を六波羅邸に迎えた。義朝は狼狽し敗戦して尾張に走り、長田忠致邸に落ち、湯殿で殺された。信頼は捕斬され、頼朝は伊豆に流されて、源氏は没落した。清盛は太政大臣、子重盛以下公卿、女徳子は高倉天皇の中宮となり、治承二年(一一七八)一一月、皇子(安徳天皇)誕生し、荘園は全国の半に及んだ。平家にあらざれば人に非ずとの暴言まで吐くに至った。
 

平氏(二)


源氏(二)