常総市/デジタルミュージアム

坂野家文書解説

坂野家文書の世界

 常総市は茨城県の南西部,都心から55km圏内に位置し,東はつくば市・つくばみらい市,西は坂東市,南は守谷市,北は八千代町・下妻市にそれぞれ接する。南北約20km,東西約10km,面積は123.6km2である。
 坂野家は,常総市域西部の岡田台地上に位置する大生郷町(明治22年(1889)以前は大生郷村)字駒込の豪農で,約500年前にこの地に土着したと伝えられる。墓誌などによれば,承応2年(1653)2月19日に没した坂野対馬を「中興初代」とし,以後,昭和戦前期までに,2代の監物(延宝元年(1673)没),3代の監物(吉久,享保5年(1720)没・行年80),4代の伊左衛門(元禄5年(1692)没),5代の伊左衛門(則房。宝暦6年(1756)没・行年68),6代の清蔵(美樹。寛保3年(1743)没・行年71),7代の善蔵(宝暦14年(1764)没・行年42),8代の伊左衛門(豊昌。天明7年(1787)没・行年58),9代の伊左衛門(照房。文化10年(1813)没・行年50),10代の伊左衛門(祐慶。安政3年(1856)没・享年64),11代の久馬(義敬,耕雨。文久2年(1862)没・享年60),12代の伊左衛門(信寿,行斎。明治26年(1893)没・享年73),13代の伊左衛門(蕃則。明治37年(1904)没・行年62),14代の伊左衛門(保敬,賢次郎。昭和13年(1938)没・行年70),15代の伊左衛門(晁。昭和17年(1942)没・行年61)と,代を重ねた。
 坂野家は,江戸時代には大生郷村の名主,明治維新以降も区長・戸長などの要職を歴任した。また,享保年間(1716~36)の飯沼新田開発においては頭取の一人となった。国指定重要文化財で,水海道風土博物館として整備されたその住宅には,豪壮な主屋と表門,瀟洒な造りの書院「月波楼」,風雅な庭園・中庭など豪農に相応しい屋敷構えとともに,かつては私たちの身近にあった里山の風景が広がる。ここに紹介する坂野家文書は,大生郷村や坂野家のみならず,常総市とその周辺における生活の歴史を知ることができる地域史料である。平成10年(1998)に同家の新蔵や文庫蔵などから偶然にも発見され,以後,坂野家に伝来してきた書画・民具などとともに常総市(旧水海道市)によって整理が進められてきた。ここでは,その中から,常総市の地域特性,ひいてはこの地に開化した文芸の背景を知ることができる江戸時代の史料を精選し,公開する。
 
解説: 山澤 学(筑波大学人文社会系准教授) 2019.3
表 坂野家歴代(中興初代~15代)
代数通称諱・異称・号没年月日行年(数え年)
中興初代対馬承応2年(1653) 2月19日未詳
2代監物延宝元年(1673) 9月16日未詳
3代監物吉久享保5年(1720) 10月12日80
4代伊左衛門元禄5年(1692) 3月26日未詳
5代伊左衛門則房宝暦6年(1756) 9月18日68
6代清蔵美樹寛保3年(1743) 6月20日71
7代善蔵宝暦14年(1764) 5月2日42
8代伊左衛門豊昌天明7年(1787) 3月26日58
9代伊左衛門照房文化10年(1813) 11月15日50
10代伊左衛門祐慶安政3年(1856) 9月25日64
11代久馬義敬,耕雨文久2年(1862) 9月19日60
12代伊左衛門信寿,行斎明治26年(1893) 5月9日73
13代伊左衛門蕃則明治37年(1904) 6月6日62
14代伊左衛門保敬,賢次郎昭和13年(1938) 11月18日70
15代伊左衛門昭和17年(1942) 10月10日61
註 墓誌・過去 帳等により作成。